美風庵だより

幻の花 散りぬ一輪 冬日の中

神埼市神埼町神埼 櫛田宮


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www5b.biglobe.ne.jp2月22日、以前から訪問してみたかった神埼市役所隣の櫛田宮を初訪問しました。

通説によれば、まず三重県松坂市の櫛田神社が最初に在り、それから佐賀県神埼市の櫛田宮が分かれ、さらに博多の櫛田神社が分社されたことになっています。

櫛田神社 (松阪市) - Wikipedia

櫛田宮 - Wikipedia

櫛田神社 (福岡市) - Wikipedia

櫛田神社 (射水市) - Wikipedia

しかし、各地に在る櫛田神社・櫛田宮をみても、よくわかりません。

理由は簡単で、御祭神が異なるのです。例えばこの神埼市の櫛田宮は、スサノオ奇稲田姫日本武尊を御祭神としています。博多の櫛田神社は、大幡主・天照大神スサノオさんです。

赤貧が「神社めぐり」の基礎資料としている福岡県神社誌のほうも確認してみましょう。
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3077 村社 櫛田神社 福岡市大字荒江字宮ノ前(天照大神、大若子命、天児屋根命
3207 村社 櫛田神社 早良郡田隈村大字野芥字宮ノ下(天照大神、大若子命、天児屋根命
4660 県社 櫛田神社 福岡市社家町(天照大神、大幡主、素戔嗚尊
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櫛田神社」は3社掲載されています。( )内は、御祭神の面々です。
天児屋根命とは、天之忍穂耳命の別名です。
県社の櫛田神社は博多のお櫛田さんのことですから、現在の福岡市内に全部で3社、櫛田神社があることになります。
 
書く側も書きにくいことおびただしいため、いったん御祭神を表にしてみることにします。

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おぼろげに、なんとかスサノオ奇稲田姫夫婦が中心なのが見えてきます。

大幡主は、奇稲田姫の母親 埴安姫と兄妹の関係なので、この夫婦から見れば、伯父貴にあたります。

天之忍穂耳(天児屋根命)は、スサノオ奇稲田姫夫婦からみると娘婿です。

射水市櫛田神社武内宿禰が勧請したと伝えられており、神埼市の櫛田宮は武内宿禰が日本武命(やまとたける)として祀られています。どうやら玉垂命や開化天皇が仮託した姿ではなく、本物の武内宿禰の姿ではないかと思えるのです。

というのも、本物の武内宿禰(=日本武尊)の母 山下影姫の祖先は長髄彦(ながすねひこ)で、その親はスサノオ奇稲田姫夫婦という主張があります。なぜそうなるのか理解していないため紹介を控えますが、本家本元とされる松坂市の櫛田神社より、この神埼市の櫛田宮のほうが原型をとどめている可能性すらあるのです。

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境内でひときわ目をひくのは、祇園社の存在です。スサノオさんを祀るお宮とされていますが、どうやら神仏習合の時代はここが仏堂だったようで、薬師如来像など仏像が安置されていたという話をききました。スサノオさんが本殿と境内の2か所でお祀りされているという構造も不思議な気がします。本殿は、本当にスサノオ奇稲田姫夫婦なのか?もしかすると、大幡主・天照大神夫婦が隠されているのでは?

……そんなことを考えていると、ほとんどひらめくように次の一節を思い出しました。

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長髄彦 - Wikipedia
長髄彦神武天皇に「昔、天つ神の子が天の磐船に乗って降臨した。名を櫛玉饒速日命という。私の妹の三炊屋媛を娶わせて、可美真手という子も生まれた。ゆえに私は饒速日命を君として仕えている。天つ神の子がどうして二人いようか。どうして天つ神の子であると称して人の土地を奪おうとしているのか」とその疑いを述べた。天皇は天つ神の子である証拠として、天の羽羽矢と歩靱を見せ、長髄彦は恐れ畏まったが、改心することはなかった。そのため、間を取り持つことが無理だと知った饒速日命ニギハヤヒノミコト)に殺された
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饒速日命とは、山幸彦こと猿田彦の別名です。スサノオさんの日本帰還を手助けした五十猛命という別名も持っています。彼は、大幡主と天照大神卑弥呼)のあいだの子であり、のちに高木大神と天照大神の娘婿 天之忍穂耳(海幸彦)と勢力闘争をして、海幸山幸の寓話として語り継がれてきました。

抗争したり手打ちをしたりとまるで893のようですが、実際のところもそんな感じだったのかもしれません。

大幡主の最後の後継者である大己貴(大国主)は、出雲の神様としてだれでも知っています。大己貴(大国主)に対する妙な持ち上げも、社会的抹殺が終わった余裕とみれば納得がいきます。そうではなく、ガチで抗争したり手打ちをしたりしていた時代の登場人物であれば、本気で消されていたでしょう。

博多の櫛田神社は、大幡主のもともとの本拠地(まさに聖地エルサレム)に建てられた「隠れ総本山」として、ずいぶんと違う神社になってしまっています。神社の御祭神には、土地の記憶が反映するのかもしれません。ひとつ、よい勉強になりました。

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実際のところ、まだまだ謎はあります。お稲荷さんも2社並んでおり、なんといっても印鑰神社があります(道首名とどういう関係が?)。いずれ再訪して、さらに考えてみないといけません。
(2020.02.22訪問)