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福岡県神社誌では天満神社とされていますが、現地を訪問すると藤吉という地名の下に天満宮・八幡宮が併記されていたため、題名もそのように表記しました。
御神紋は五三桐紋です。桐紋は初代住吉大明神 鵜葺草葺不合命(うがやふきあえず)から、住吉大明神の称号とともに玉垂命(=筑紫君)が譲り受けた紋章であり、玉垂命が使うときは五七桐紋、妃の神功皇后や一族郎党が使用するときは五三桐紋として使用されます。
つまり、表向きは天満宮だったり八幡宮だったりするのですが、実態は玉垂命の関係者がお祀りされている神社なのです。
では、誰でしょうか。むろん、玉垂命と神功皇后の子である仁徳天皇と考えても差し支えありません。しかし、赤貧はほかの可能性、ここに祀られているのは「道首名」ではないかと考えるのです。
境内には、画像左手のお稲荷さんと、右手に「合社」と彫られた石祠があります。合社は、地区内の神社を合祀したものでしょうか。
このお稲荷さんの配置も、気になるのです。赤貧が道首名が御祭神である可能性に気づくのは、徒歩数分で訪問できる次の神社(夜明神社)を訪問した時でした。次回に続きます。
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[福岡県神社誌(抄)]下巻24頁
[社名(御祭神)]天満神社(菅原道真、安痘神、事代主神、仁徳天皇)
[社格]村社
[住所]三潴郡大善寺町大字藤吉字奥小路
[境内社]稲荷神社(倉稲魂命)
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(2020.02.15訪問)