美風庵だより

幻の花散りぬ一輪冬日の中

久留米市田主丸町田主丸 素戔嗚神社(祇園神社・天王宮)


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福岡県神社誌によれば、慶長16年(1611年)に竹野郡麦生村に祇園社として創建されたことがわかります。元和2年(1616年)に、現在の田主丸の地に移転したとのこと。

田主丸中心部の町筋を立てる作業、今でいえば都市計画をして新しい町をつくる作業が始まったのが慶長19年(1614年)とありますから、新しい町のシンボルとして祇園社が建てられたというわけです。

元が祇園社(つまり「寺」)であることがはっきりしているせいか、村社昇格は明治43年(1919年)と比較的遅めです。同じ大字内に村社は1社が原則で、すでに天満宮久留米市田主丸町田主丸650)が明治6年1873年)に村社と定められていたため、なかなか認められなかったのでしょう。

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牛頭天王 - Wikipedia

斉明天皇2年(656年)高句麗の使、伊利之使主(イリシオミ)が来朝したとき新羅国の牛頭山の須佐之雄尊を祭ると伝えられる。伊利之は『新撰姓氏録山城国諸蕃の八坂造に、意利佐[注釈 8]の名がみえ、祇園社附近はもと八坂郷と称していた。この伝承にそのまま従うと「日本における神仏習合以前に、朝鮮半島ですでに日本神話のスサノオが信仰されており、その信仰をもちこんだ渡来人が住みついた後になってから牛頭天王と習合した」ということになる
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スサノオさんは天照大神に追放され、朝鮮で一旗あげて、五十猛命猿田彦)にてびきをさせて日本に舞い戻ります。その支援をしたのは、大幡主でした。

博多櫛田宮で大幡主が、(高木大神=高皇産霊神の妃となる前の)天照大神スサノオを両脇に従えており、派手な山笠で徹底して祀り上げられるのは、この影響です。

ただ、博多櫛田宮は天照大神に桜紋をあてており、個人的には大山祗(月読命)や木花開耶姫ではないかと今でも疑っているのですが……。

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画像左から、琴平社、春日社、天満宮、大神宮の順です。

それにしても境内社の配置が奇妙です。琴平社、春日社、天満宮については、社殿と直列になっています。この配置にも意味があるのか、たんに境内を整理していくうちに、こうなってしまったのか……。春日社に祀られた天児屋根命とは、天之忍穂耳(海幸彦)の別名ですから、本殿の御祭神と縁がある猿田彦(山幸彦)とは敵対関係にあります。わざと引き離しておられるのでしょうか……。
大神宮が社殿の横にあります。おそらく天照大神を祀っていると思われます。

博多櫛田宮と比べて、ここに居ないのは、大幡主だけなのです。

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境内の恵比須神社は崇敬者が多いようで、立派な案内板や御神灯が建っています。事代主は、天照大神卑弥呼)や月読命(大山祗)と並ぶ存在に潜り込んだ異例の大出世神です。

朝倉市甘木恵比須町 西宮神社 - 美風庵だより

田川郡添田町落合 高木神社 - 美風庵だより

よく言えば権力にしっかりと取り入った成功例ともいえますし、悪く言えば相当なやり手だったともいえます。なかなか不思議な存在です。
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[福岡県神社誌(抄)]中巻237頁
[社名(御祭神)]素戔嗚神社(素戔嗚命
[社格]村社
[住所]浮羽郡田主丸町大字田主丸字祇園町北内畑
[境内社]恵比須神社事代主命)、天満神社(菅原神)、琴平神社崇徳天皇)、春日神社(天児屋根命
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(2020.02.08訪問)