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鳥居に素戔嗚神社とあるためそのつもりで境内にはいり、拝殿まで歩み寄って驚きました。なんと御神紋が梅鉢紋です。慌てて引き返し、再度、鳥居の扁額を確認しました。
福岡県神社誌をみると、元々ここには天満宮があったとのこと。大正5年(1916年)に合祀され、現在の素戔嗚神社になったとあります。境内が広く、たくさんの境内社の石祠が左右に並んでいるのは、おそらくそのためなのでしょう。
画像左手から本殿、幣殿、拝殿と3つの建物がつながって一つの社殿となっています。こう言っては失礼かもしれませんが、それほど住戸の多い集落とも思われず、これだけの規模のお宮を維持するのは大変なことだろうと余計な心配すら覚えるほどです。
社殿の屋根などをのぞくと、通称「織田木瓜」紋が見受けられます。たしかにここはスサノオを祀る祇園様のようです。
福岡県神社誌中巻231頁に、素戔嗚神社についての興味深い一文があります。
韓嶋氏は、のちの辛島(からしま)氏の祖先とされます。
つまりこの地は、渡来人である辛島氏や、宇佐と縁がある土地なのです。そしてそれだけでなく、天照大神から追放され、朝鮮に逃亡していたスサノオが、現地で従えた手勢とともに日本に舞い戻ってきたことも暗示しています。
宇佐神宮の歴史を考えるとき、途中で祭祀を司る氏族が入れ替わるのが気になっていました。辛島氏が祀っていた宇佐八幡宮と、大神氏・宇佐氏の時代になってからの宇佐神宮は、別物とかんがえたほうがよいことも、この田主丸志塚島の素戔嗚神社は暗示しているのです。ここもまた、中身の深い神社といえます。
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[福岡県神社誌(抄)]中巻230頁
[社名(御祭神)]素盞嗚神社(素戔嗚命、菅原道真)
[社格]村社
[住所]浮羽郡川会村大字志塚島字西唐島
[境内社]巨勢社(平相国)、琴平社(崇徳天皇)、市杵島社(市杵嶋姫命)、秋葉社(火結神)
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(2020.02.08訪問)