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三津畄の「畄」は、「留」の略字ですから、「みづとめ(水止め)」と読むのでしょうか。現地で第一村人を発見できなかったため、正確なところは再訪が必要です。
【2020.04.19追記】「三津留(みつる)」と読むと指摘がありました。
現地に在る鋳物でできた「由来記」を読むと、宝暦年間(1751年から1764年)に「川筋見回役 倉富丹右衛門の創建」「守護神として罔象女神を祀る」とあるため、由緒ははっきりしています。
ところが本殿の石祠を覗くと、笏を持った男の座像が御神体です。
そして、拝殿の扉には五三桐紋が取り付けられています。
桐紋を使用するのは、
(1)初代住吉大明神 鵜葺草葺不合命(うがやふきあえず)
(2)神功皇后
(3)玉垂命
のいずれかとまず疑うものです。
おそらく水神様として宝暦年間に創建されたのは間違いないのでしょうが、もしかすると、それ以前の祭祀を上書きした存在なのかもしれません。
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[福岡県神社誌(抄)]下巻422頁
[社名(御祭神)]水神社(罔象女神)
[社格]無格社
[住所]浮羽郡川会村大字上原字一木藪
[境内社]記載なし。
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(2020.02.08訪問)