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鳥居の先には、高木公民館があります。神社は正面向かって右手にあり、わざと鳥居から直進できないように傾けられています。
ではこの社殿はどこを向いているのかというと、英彦山や宇佐神宮のほうに向いているのです。高木集落の守り神は、彼らの御先祖様がやってきた土地に向かって建っていることになります。
本殿の裏手に回ると、なんとそこに在るのは墓石です。本殿と背中合わせに位置しているため、墓参りをすると、自然と英彦山や宇佐を遥拝できるのです。
時代の波に飲み込まれず、昔ながらの祭祀が、きちんと残されています。流行神を勧請した神社と、全くその意味合いが異なるのです。
福岡県神社誌では、境内に若宮神社があることになっています。現地を訪問して玉垣のある石碑には気づきましたが、あれが若宮社だったのかもしれません。その若宮社の御祭神は応神天皇です。しかし本殿に居るのは高木大神(高皇産霊神)です。
ところが御神紋は、矢車紋なのです。
ということは、本当の御祭神は決して高木大神ではありません。
高木神社と名乗っていますが、天之忍穂耳系統ではなく、大幡主・豊玉彦系統のお宮の可能性があるのです。ただ、その場合気になるのは、英彦山や宇佐に向かって社殿が建てられていることで、これをどう考えたらよいのか……。
(本人)崇神天皇
(父)大山咋
(母)玉依姫
となります。
共通するのは、天之忍穂耳は高木大神の娘 栲幡千千姫のムコであり、豊玉彦は高木大神の娘 萬幡豊秋津姫のムコという点でしょうか。
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注)記紀では栲幡千千姫と萬幡豊秋津姫は同一視されています。これはおそらく、事実を抹消するための細工でしょう。赤貧もいろいろ悩んでいるのですが、天之忍穂耳と豊玉彦に高木大神がヨメとして送り込んだのがどちらなのか、まだ確信が持てない状況です。いちおう現時点ではこう考えています。
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ここまで考えてみると、この地に移住し高木神社をお祀りした部族は複数の祖先を祀るお宮としてここを創建したのだろうと推測できます。後世になり、有名どころだけに抽象化されていき、高木大神を祀る神社とされたのでしょう。
もう少し付け加えれば、「豊城」地区ということを考慮すれば、若宮が本当に応神天皇なのかという問題もあるのです。
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豊城入彦命(とよきいりひこのみこと[1])は、記紀に伝わる古代日本の皇族。
第10代崇神天皇皇子である。『日本書紀』では「豊城入彦命」「豊城命」、『古事記』では「豊木入日子命」と表記される。
東国の治定にあたったとされ、上毛野君や下毛野君の始祖とされる。
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崇神天皇には豊城入彦命というお子さんが居たとされています。これも含めて検討を要します。ここは謎が深い……。
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[福岡県神社誌(抄)]中巻233頁
[社名(御祭神)]高木神社(高皇産霊神)
[社格]村社
[住所]浮羽郡水分村大字豊城字高木内畑
[境内社]若宮神社(応神天皇)
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(2020.02.08訪問)