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旧「美風庵だより」です。

小郡市松崎 天満稲荷神社 再訪


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2月1日の日録「九州の飛鳥」 - 美風庵だより

小郡市松崎 天満稲荷神社 - 美風庵だより

2月1日、「九州の飛鳥」とされる福岡県立三井高校と小郡養護学校付近の森を訪問しました。あわせて、三井高校の斜め向かいにある、天満稲荷神社を再訪しました。
福岡県神社誌にどう書かれているかは、初訪問時の記事をお読みいただくとして、この神社が特異な点は、字城山に存在した無格社稲荷神社に村社天満神社を合祀したという点です。

村社としての社格天満神社から引き継いでいるものの、我々が見ることができるこのお宮は、もともとが稲荷神社なのです。

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境内に、倉稲魂神を祀る稲荷神社があります。お稲荷さんが2つ存在しています。福岡県神社誌の記載を読むと、無格社愛宕神社も同地に存在していたことがわかります。おそらく、大正時代に神社合祀した際、大きなお宮を村社天満神社とし、玉突きで愛宕社を稲荷神社(倉稲魂神社)としたのでしょう。

防火の神様 愛宕権現の姿が消えてしまっています。

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境内社が多いのも特徴です。

文字が判読しづらいものが多く、なかなか難儀します。

御神池の先に祇園社があるのは、福岡県神社誌でいう須佐能神社でしょうか。いわゆる「織田木瓜」が認められます。その右手に、前回は気づかなかったのですが、妙見社が存在しています。これは福岡県神社誌には記載がありません。

推測ですが、天満神社を合祀する際、元の境内にあったお宮をそのまま書類上のこしたままになっているのではないでしょうか。現地の祭祀と、だいぶ食い違っています。

前回も書いたとおり、このお宮は三階松の御神紋からして、元々は玉垂命が筑紫君となる前の藤大臣 阿部相凾(あべのしょうかん)であった頃を祀る 宮地嶽神社だったのでないかと考えています。地元の人たちは、天満宮やお稲荷さんに上書きされることで、実質的に生かす道を選んだのでしょう。
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[福岡県神社誌(抄)]中巻204頁
[社名(御祭神)]天満神社豊受姫命、菅原神、軻遇突智神
[社格]村社
[住所]三井郡立石村大字松崎字城山
[境内社]須佐能神社(素盞嗚命)、是善神社(是善公)、事代主神社二社、加藤神社加藤清正)、猿田彦神社
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(2019.08.10訪問/2020.02.01再訪)