美風庵だより

幻の花 散りぬ一輪 冬日の中

小郡市大保 御勢大霊石神社


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まず、社頭にある案内板をお読みください。続いて「玄松子の記憶」から由緒書きを引用しますのでお読みください。この由緒書きは、神社のリーフレットにも記載されていたものです。

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御勢大霊石神社 御勢大靈石神社

神功皇后二年(二〇二)創建、社記・伝説によれば第十四代仲哀天皇熊襲征伐に当り、橿日宮の本陣より此の地に軍を進められ大保の里が白州で清浄であったので天神地祇を祀り仮陣地とし軍を指揮された。偶々近臣を従え志気を鼓舞するため戦線を廻られた折、敵の毒矢に当られて此の地にて崩御された。皇后は時恰も激戦中で志気の沮喪をおそれ深く秘して仮に御殯葬申し上げた。
熊襲征伐後軍を纏めて御崩御を布告し、御霊柩を橿日宮に移して発喪された。その後三韓征伐に於て御魂代の石を軍船に乗せ、その石に仲哀天皇の御鎧及び兜を着せて征途につかれ、戦勝御凱旋されて、その石を天皇の御魂代として、大保の郷の殯葬の地に宮柱太敷立て斉き祀られ御勢大霊石と崇められた。
今、社前にある石がこれで御剣・御衣も納められ御本體所と称する。御勢を夫にて皇后よりの尊親の称である。

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むかし「玄松子の記憶」で紹介されたのを見て、一度訪問したことがあります。社頭の案内板と、リーフレットの内容にかなり開きがあるため、戸惑った記憶があります。

いまにして考えれば、偽史書である記紀を考慮する必要はなく、リーフレットのほうを信じてよいとわかるのですが、当時はまだ、そこまで思い至りもしませんでした。もっと早く疑う心を持っていればと、悔やまれるところです。

天下の奇祭「数方庭祭」 - 昔に出会う旅

数方庭祭 | 山口県下関市,神社 | 宗教法人 忌宮神社

この足仲彦(仲哀天皇)というひとが生きていた時代は、よほど混乱の時代だったようで、下関・長府 忌宮神社にも「数方庭祭」が遺されています。一度は長府で敵を追い払ったものの、さらに深入りして、とうとう小郡・大保で流れ矢で戦死してしまいます。大将が流れ矢に当たるような位置にいるか?という疑問もあるようですが、数方庭祭の伝承と重ねて考えると、どれほどの規模の集団(軍団)だったのかとも思えるのです。少なくとも、大軍団だったとは思えません。

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仲哀天皇 - Wikipedia

即位8年、熊襲討伐のため皇后とともに筑紫に赴いた天皇は神懸りした皇后から託宣を受けた[注 1]。それは「熊襲の痩せた国を攻めても意味はない、神に田と船を捧げて海を渡れば金銀財宝のある新羅を戦わずして得るだろう」という内容だった。しかし高い丘に登って大海を望んでも国など見えない。歴代天皇があらゆる神を祀っていたというのに未だ祀っていない神がいるとも考えられない。そこで天皇は神が偽物ではないかと疑った。神は再度、皇后に神がかり「天皇は国を手に入れられず、妊娠した皇后が生む皇子が得るだろう」と託宣した。
それでも神を信じられない天皇構わず熊襲を攻めたものの、空しく敗走。翌年2月に天皇は急に崩じてしまい、神の怒りに触れたと見なされた[2]。『日本書紀』内の一書(異説)や『天書紀』では熊襲の矢に当たり、橿日宮(訶志比宮、現香椎宮)で崩御したとされる。遺体は武内宿禰により海路で穴門(穴戸、現在の下関海峡)を通って豊浦宮(現下関市)で殯された。
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wikipedia記紀を念頭に書かれていますが、それでも足仲彦が迷うのはよくわかります。長府で敵襲を受け追い詰めるべき敵が居ながら、外を攻めよと言われてもにわかに誰が信じるでしょうか。

足仲彦の周囲には、記紀を信じれば神功皇后、玉垂命(武内宿禰)、崇神天皇とそうそうたる面々がそろっています(それにしても夫が3人そろい踏み……)。互いの主張は食い違い、足仲彦は流れ矢に当たって戦死する。どうもこの辺りが、足仲彦の率いた勢力の終焉で、権力は神功皇后を担いだ玉垂命と崇神天皇に移っていくのです。

時の権力者3人を渡り歩いた悪女と考えるか、誰もが惚れる聖女だったのか。

見方でガラリとかわる女性です。どうしたものか……。

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イオン小郡をはさんで南側に在る、白鳥神社(跡地?)も訪問しました。

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昭和22年(1947年)の米軍が撮影した航空写真を眺めてみると、この一帯、ほぼ湿地か田んぼなのがわかります。大昔は、御勢大霊石神社が管理する神苑や池の一部だったのではないでしょうか。
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[福岡県神社誌(抄)]中巻157頁
[社名(御祭神)]御勢大霊石神社(足仲彦天皇天照大神八幡大神、吉富大神、春日大神
[社格]県社
[住所]三井郡三国村大字大保字龍頭
[境内社(御祭神)]成末神社(仲哀天皇)、淡島神社少彦名命)、牛天神社(保食神
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(2020.01.11訪問)