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八丁島の御供納(久留米市の祭り)行事・祭事|オープンデータ ジャパン
行事の内容については、すでにほかのホームページでいろいろと紹介されているため、そちらをお読みいただければと思います。
赤貧が気になるのは「池の主である龍神に貢物を納めて五穀豊穣を祈願した」といういわれの部分です。この天満神社の祭神は菅公であり、龍ではありません。このことから、もともと八丁島地区で祀られていた神は別に存在し、どこかの時点で菅公を祀る天満神社で上書きされたと考えられるのです。
その観点で福岡県神社誌の記載を眺めると、明治44年(1911年)までのあいだに、次のとおり、複数の神社を合祀してきた記録が認められます。
大字八丁島字八丁島 八龍神社(スサノオ)
大字八丁島字町 恵比須神社(事代主)
大字八丁島字外町 天満神社(菅公)
大字八丁島字奥 天満神社(菅公)
大字八丁島字字町 天満神社(菅公)
つまり、八丁島地区のお宮が天満神社として整理統合されていくまえは、八龍神社に関する祭事であったと考えてよいでしょう。
八大龍王とくれば、海神 豊玉彦を指すとまずは、考えます。
小郡市津古の八龍神社も、豊玉彦がかくまった彦火火出見尊(ひこほほでみ。山幸彦・猿田彦の別名)と豊玉彦の娘 豊玉姫を祀っています。
山幸彦関係者を祀るのが、八龍神社の基本形です。
ところが、ここではスサノオであり、八岐大蛇からの連想がみられるのです。おそらく龍神=水神からの連想で、あとから御祭神をスサノオに比定したのでしょう。
ほんらいの御祭神は豊玉彦・山幸彦・豊玉姫といった面々だったのではないかと思えるのです。
すでに七夕神社で、私たちは海幸・山幸の境界線争いがあったことを知っています。
この八丁島の「御供納」神事も、海幸・山幸の神話を伝える重要な遺産なのです。おそらくそう考えるのが、最もわかりやすいと思うのですが、いかがでしょうか。
自転車で数分のところに、伝承の舞台である天神堀があります。探さなくても数分で親子の遺体は発見できそうですし、龍神様が潜るには浅いような気もします。もしかすると、江戸時代、まだこの地域の開発が進んでいなかったころには、もっと広く深い池だったのかもしれません。
国土地理院のホームページから1948年(昭和23年)の米軍が撮影した航空写真をダウンロードしてみたのですが、ほぼサイズ的に違いはありません……。
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[福岡県神社誌(抄)]中巻175頁
[社名(御祭神)]天満神社(菅原神、素戔嗚尊、八重事代主神)
[社格]村社
[住所]三井郡宮陣村大字八丁島字蓮輪
[境内社(御祭神)]記載なし。
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(2020.01.05訪問)