美風庵だより

幻の花 散りぬ一輪 冬日の中

朝倉郡筑前町東小田 倭五玉宮

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 赤貧も先行研究にならい、通常のゼンリン地図掲載を遠慮させていただきます。

冷水バイパスから県道53号線に入り筑後小郡ICに向かう途中に養鶏場があり、その脇の森の中にある神社です。以前から気づいていたのですが、木の鳥居が見えるのにそこに至る道がないため、いつの間にか忘れていました。

043 驚愕の倭五玉宮 “九州王朝 「松野連系図」所載の夜須評督の聖地か?” | ひぼろぎ逍遥

先行研究で、ここが倭の五王に関係する遺跡ではないかと問題提起があり、あらためて存在を思い出してからも数年が経ちました。

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倭の五王 - Wikipedia

一方、倭王朝貢に関する記述が『記紀』に見られないことや、ヤマト王権の大王が讃・珍・済・興・武などといった一字の中国風の名を名乗ったという記録が存在しないこと、『古事記』に掲載された干支と倭の五王の年代に一部齟齬が見られることなどから倭の五王」はヤマト王権とは別の国の王とする説も江戸時代から存在した。特に九州の首長であるとする説は根強く、古くは本居宣長熊襲による僭称を唱えていたほか、戦後も古田武彦が九州王朝説を唱えて一時期は学術誌に掲載されることもあった。

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今回、自転車ということもあって比較的容易に神社の周辺に近づくことは出来たのですが……。鳥居はあるのに入る道がありません。周囲をうろうろしてみると、どうやら鳥居のある道は、民家の一部につながっているようです。もとは舗装された道がつながっていたのだろうと思える場所を敢えて通行止めとし、場所によっては有刺鉄線すら張られています。

等間隔に御幣が立てられた参道と、封鎖された道と有刺鉄線の組み合わせは異常ですが、おそらく「不逞の輩」がこれまでも大挙して押しかけて迷惑をかけたのでしょう。

中に入ることが出来、ただならぬ雰囲気を感じます。1月4日、旧県社・旧村社を含む複数の神社を訪問させていただきましたが、まったく比べ物になりません。霊感なぞ信じないほうですが、存在に気付かせるだけの力があるお宮です。

大幡主(国常立命・タノカンサー)の長姉 天之御中主のお宮とされていることから、大幡主とその一族を祀ることはあきらかで、次姉の神武天皇を産んだほうの玉依姫も、ここに祀られているかもしれません。

赤貧のいまの時点の仮説を、簡単にまとめたいと思います。

(1)まず日本に複数の部族が渡来します。これは遺伝子の研究からもあきらかです。

(2)最初、熊襲が最大勢力となります。

(3)やがて一頭抜きんでたのが、大幡主(国常立命)・長姉 天之御中主・次姉(本物の神武天皇を産んだほうの)玉依姫でした。玉依姫の子 神武天皇が登場し、最初の「天皇」となります。

(4)神武天皇の異父妹が天照大神卑弥呼・オオヒルメノムチ)であり、最初は大幡主の妃となり、次に高木大神(高皇産霊神)の妃となります。天照大神と高木大神の娘 万幡豊秋津姫の婿に、熊襲の名族から迎えたのが天之忍穂耳(草部吉見)です。この天之忍穂耳の子が大山咋であり、さらに孫が崇神天皇であり、さらにさらにひ孫の応神天皇ときて、現皇室の源流となるのです。

(5)大幡主と天照大神の間の子が、山幸彦(猿田彦彦火火出見尊饒速日五十猛命)であり、海幸山幸神話とは、天照大神からみた場合、義理の息子と前夫とのあいだの実子が争った権力闘争なのです。

(6)大幡主はイザナギと別れたイザナミを妃のひとりとします。二人のあいだの子が海神 豊玉彦です。のちに山幸彦に、豊玉彦と大幡主(塩土老翁)が加勢したのも、同族のよしみがあったからこそでしょう。ましてや自分の娘 豊玉姫を妃として差し出すのです。山幸彦と豊玉姫の子が鵜葺草葺不合命(うがやふきあえず。住吉大明神)で、彼の実子 安曇磯良・大海姫・豊姫3人と、鵜葺草葺不合命のもとで頭角を現した、のちの崇神天皇と玉垂命をもって、住吉五神(男性だけを選んで住吉三神とも、鵜葺草葺不合命の実子だけを選んで綿津見三神とも)が成立します。

(7)神武天皇の血筋を受け継いだ孝霊天皇孝元天皇開化天皇(玉垂命)・仁徳天皇の血筋もまだこの当時は健在でした。この血筋こそがほんらいの「筑紫君」であり、玉垂命でした。記紀では武内宿禰(または日本武尊)という名で臣下として扱われていますが、彼らこそ前王朝の主なのです。鵜葺草葺不合命のもとでふたたび頭角をあらわし、正当な「君」として、即位します。

(8)天之御中主の子 月読命(大山祗)は、天照大神・高木大神と最初は友好関係にありました。天照大神・高木大神のドラ息子 ニニギと、コノハナサクヤヒメの結婚が、このことを物語っています。しかし、保食神と天邑君、要は農業技術者集団の奪い合いから、喧嘩別れし、大山祗は大幡主を頼ります。

(9)大幡主の実子 海神 豊玉彦の子が(崇神天皇の生母のほうの)玉依姫です。玉依姫と天之忍穂耳の子 大山咋の子が崇神天皇であり、大幡主の血は、一部は現皇室にも受け継がれていることになります。ただし、大幡主が後継指名したのは、大山祗の子 大己貴(大国主)でした。大幡主と大山祗の支配地をすべて手中にした大国主は、国譲りをせまられ、天之忍穂耳の一族により、出雲の地に追放されます。大山祗も、四国に追放の憂き目にあいます。大幡主の痕跡は、反対勢力の頭目として博多櫛田宮ほか全国数か所をのぞいて消し去られていくのです。

(9)同様に、玉垂命(筑紫君)の痕跡も消されていきます。その多くは、新しい支配者 応神天皇を祀る 八幡宮で上書きされていきます。玉垂命の御神紋は花菱紋(剣花菱紋)であり、伊勢神宮が花菱紋を用いるのは偶然ではありません。大幡主や月読命(大山祗)とともに、祀り上げられているのです。出雲・伊勢は、現王朝以前に活躍した英雄を封じ込める場所なのです。

(10)健磐龍命阿蘇津彦)を祀る阿蘇神社は、天之忍穂耳の弟の血筋として現在も残されています。熊襲は誰でも彼でも朝敵ではない、というよい見本です。

むろん、途中途中の権力交代劇に反発して、スサノオ長髄彦(ながすねひこ)、建御名方(たけみなかた)といった反乱者が登場し、倭国大乱を引き起こします。また、金山彦も八岐大蛇の伝承のカギを握っており、まさに多士済々の時代だったのです。
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[福岡県神社誌(抄)] 記載なし(発見できず?)
[社名(御祭神)]?
[社格]?
[住所]?
[境内社(御祭神)]記載なし。
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(2020.01.04訪問)