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西方寺というお寺の脇に砂利道があり、そこに矢印と「高木神社」と書かれた看板をみとめて右を向くと、コンクリート造りの拝殿と石の本殿がある立派な神社が建っています。
それが今回訪問した高木神社なのですが、しめ縄を掛ける柱の御神紋を見て驚きました。桜紋です。大山祗やコノハナサクヤヒメなら桜紋もわかりますし、博多櫛田宮では桜紋を天照大神(卑弥呼)に充てていますから、それもまたありなんとは思うのですが……。
そもそも拝殿のよこに登山道があり、そこにはなんと宮地岳の文字があります。
どうしても福岡県民が考える宮地嶽というと、福津市(旧津屋崎町)にある宮地嶽神社を思い浮かべてしまいます。しかし、地理院地図にここもしっかりと宮地岳と記載されているのです。
これは推測ですが「天山」という地名も、「天(帝)のおわします山」といった意味合いを含むものと思えてきます。
鳥居をよく見ると「大行事宮」という文字が彫られています。
世代を考えると、まず、大山祗の支配地となり、その後玉垂命と神功皇后の聖地としての宮地岳となり、さいごに英彦山の支配下にはいった、何層もの歴史が込められているとみてよいでしょう。
ちょうどこの宮地岳を反対側から祭祀する位置に、山家宝満宮があるのも興味深いところです。玉依姫が息子 崇神天皇の東征成功を祈願した場所の先にあるのは、宝満山ではなく、宮地岳なのです。
崇神天皇のほうが、玉垂命や神功皇后よりも年上なのはあきらかですから、東征に行っている前後に玉垂命が即位して九州王朝を高良山で樹立したことになり、まさに群雄割拠の状況があったというわけです。
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[福岡県神社誌(抄)]中巻59頁
[社名(御祭神)]高木神社(高皇産霊神)
[社格]村社
[住所]筑紫郡御笠村大字天山字山畑
[境内社(御祭神)]記載なし。
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(2019.12.31訪問)