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11月23日と24日は所用で神社めぐりが出来ませんでした。2週間ぶりの神社めぐりです。
大己貴とはあえて書くまでもなく大国主のことで、天児屋根命は天之忍穂耳の別名です。
現皇室(崇神王朝)の事実上の源流である天之忍穂耳と、天之忍穂耳の義父(高木大神=高皇産霊神)から所領を奪われ、恐らく命も召し上げられた大国主はどう考えても敵同士のはず。それを併せ祀るとはいったいどういうことなのか……。福岡県神社誌だけを読み、訪問するまえから気にはなっていたのですが、現地に来て完全に後世のこじつけなのだとすぐわかりました。
もう一柱の御祭神である吉祥女は、福岡県神社誌には「天慶年間秋月対馬守春實吉祥女を合祭」とあり、938年~947年のあいだに、あとから秋月氏の祖先にあたる夫婦を併せて祀ることにしたことがわかります。
秋月対馬守春實は、wikiには大蔵春実として説明があります。ダンナがどこかに行って、嫁だけ残っているというのも変な話ではあるのですが、とりあえず保留とします。ほかの神社めぐりをしているうちに、見えてくるかもしれません。
さきほどの大国主と天之忍穂耳の話に戻ると、実際にはこのどちらもこの神社には祀られていません。
まず、石柱に三階松紋が彫られており、拝殿の鬼瓦が五七桐紋です。いずれも筑紫君=玉垂命(とその一族)が使用した紋章であり、ここはれっきとした玉垂宮なのです。


福岡県神社誌には記載がない境内の石祠も、しっかりと花菱紋が彫られています。これも筑紫君=玉垂命の御神紋です。伊勢神宮が花菱紋を使用しているため、現皇室につながる系譜の御神紋のひとつと勘違いされていますが、実際には現皇室以前に日本を支配した筑紫君と、彼らの集団を含む広義の熊襲グループの紋章です。
また、福岡県神社誌には「斉明天皇当所橘廣庭の宮にご遷幸の砌、玉体守護神として大己貴命及天児屋根命を勧請」とあるのも不思議な話です。現皇室の源流である天之忍穂耳については理解できるにしても、大国主は関係ありません。敵軍の大将を守護神として、祖神と並べて拝む感覚は、常人には理解しがたいものです。この斉明天皇とされた人物は、ほんとうに現皇室の縁故者なのでしょうか?
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[福岡県神社誌(抄)] 中巻34頁
[社名(御祭神)]宮野神社(大己貴命、天児屋根命、吉祥女)
[社格]村社
[住所]朝倉郡宮野村大字宮野字宮ノ前
[境内社(御祭神)]記載なし。
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(2019.11.30訪問)