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福岡県神社誌には、「新田義信建立」という記述があり、さきにこの日記で紹介した、大刀洗町冨多の新田神社や、大刀洗町三川の印鑰神社と関係がある神社であることがわかります。
また、大正4年(1915年)に「元八幡宮」からの改称が許可されたとあり、以前の名称は「元八幡宮」だったこともわかります。
なにに対しての「元」かと言えば、宇佐八幡以前からある八幡宮だよ、という意味のはずなのですが、新田義信がこの地を治めたのは1400年ごろらしいので、時系列がつながりません。となると、元々この地に玉垂宮があって、そこにあとから新田氏の手で八幡宮がかぶせられたと考えたほうが、正解のような気がします。
社殿正面右脇に、猿田彦(山幸彦)、えびす様(事代主)と水天宮がお祀りされていました。この水天宮が罔象女神(みずはのめ)を祀る水神社なのか、天之御中主を祀る久留米水天宮の系列なのかは、これだけでは判然としません。四方を川と水路に囲まれた地形をみると、おそらくは水神様を祀っているのではないかとは言えそうです。
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[福岡県神社誌(抄)]中巻164頁
[社名(御祭神)]八幡神社(応神天皇、住吉大明神、春日大明神)
[社格]村社
[住所]三井郡大堰村大字三川字小川畑
[境内社(御祭神)]記載なし。
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(2019.11.4訪問)