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玉垣積みの上に建つ社殿といい、この地域の神社の様子をよく表している天神社です。福岡県神社誌では御祭神は菅公とされていますし、天満宮とかかれた扁額が鳥居にある以上、地元の方もそう考えていて間違いはないのですが、おそらくもともとの祭祀は、菅公ではありません。
赤貧がそのことに気づいたのは、正面向かって左手にある祠を拝見させていただいたときでした。しっかりと並び鷹の羽紋があります。英彦山です。おそらくは豊前坊(高住神社)でしょうか。
正面向かって右手、社殿よりも一段高いところにあるお宮をのぞいてみました。真ん中にあるのは、英彦山神宮の御神札です。その隣に、天照大神?の木像があります。ほかにも、仏像などがずらりと並んでいます。
どうやらここは、英彦山の分社だったようです。
天神社の御祭神は最初は大幡主だとおもえます。大幡主の妃のひとりが天照大神でした。やがて、天照大神は高木大神(高皇産霊神)の妃となり、娘の入り婿にとったのも、大幡主の息子 豊玉彦でした。もう片方の入り婿 天之忍穂耳(草部吉見)の英彦山入り以降、次第に大幡主とその後継者が「出雲」「国つ神」のレッテルを貼られて追いやられる前の姿があるのです。
菅公は、のちに取り替えられた御祭神でしょう。
ここにも、古層がありました。
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[福岡県神社誌(抄)] 下巻407頁
[社名(御祭神)]天神社(菅原神)
[住所]金川村大字中島田字嶋畑
[境内社(御祭神)]記載なし。
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(2019.10.20訪問)