大きい地図・ルート検索 ( powered by ゼンリン地図 いつもNAVI )


基本的に、福岡県神社誌は無格社の由緒を記載していませんが、編者がとくに重要と思ったものについては、一覧リストのまえに由緒が記載されています。この一目連神社もそのひとつです。
該当部分を画像にしてみましたが、内容を要約すると、
「北野の地は洪水が多かった。久留米藩主が鷹狩で訪れ田畑の荒廃ぶりに心を痛めていた。参勤交代で江戸に居たおり桑名藩主と話す機会があり、(桑名藩主の治める)多度神社のある地域は同様に洪水の多い土地柄であったが、水難除けに一目連神社を祀っているという話を聞いたので、分社を願い出た」
ということになります。
----------------------------------------
天目一箇神は御父神である天津彦根命と共に、天候を司る神とも仰がれ、古来より伝えられる雨乞祈祷では、御本宮と並び、別宮においても祭典が執り行われ、近世では伊勢湾での海難防止の祈願も多く捧げられた。
また、当地方一円では、天目一箇神が御稜威を発揚される際、時に臨んで御殿をお出ましになると言い伝えられ、古来御社殿には御扉の御設けが無い。
----------------------------------------
天目一箇神は一つ目の龍神の姿をしているという言い伝えがあるそうで、天に駆け上り住民を助けることができるよう、社殿に扉がないということです。特撮ヒーローみたいですが、おそらくイメージ的にはそのような感じだろうと思います。
つまり、雨ごいの龍神様として北野の地に連れてこられたわけですが、では、彼はいったい何者なのかが問題となります。
----------------------------------------
・金工鍛冶の神。作金者の神。鉱山師の神。
・筑紫・伊勢両国の忌部の祖神。天津日子根神の御子。
・太玉命の率いる五神(天日鷲命:阿波忌部の祖、手置帆負命:讃岐忌部の祖、彦狭知命:紀伊忌部の祖、櫛明玉命:出雲玉作の祖、天目一箇命:筑紫・伊勢忌部の祖)の一柱。
・溶鉱炉の火を片目で監視して、火の色で温度を測るため、片目が見えなくなってしまうことから一目という。
----------------------------------------
「天津日子根神」の「御子」という点が、鍵になります。文献によって「日子」であったり「彦」であったりするわけですが、「天を支配する日の子」の「根」です。言い換えるなら、天を支配する日の子の「親」を指します。
要は英彦山(日子山)に君臨した天之忍穂耳(草部吉見)のパパだと言っているわけです。この場合のパパは、実父でしょう。義父の高木大神では、「根」と表現するのはむつかしそうです。
となると、綏靖天皇(神沼河耳命=金凝彦)の別名が、天津日子根神ということになります。
----------------------------------------
十二宮:金凝神 - 一宮の叔父。第2代綏靖天皇を指すという。
----------------------------------------
阿蘇神社では、綏靖天皇を金凝神という名前でお祀りしています。記紀では叔父ということになっていますが、彼こそが阿蘇神社の祭神 健磐龍命 と 英彦山の祭神 天之忍穂耳 の実父であるとにらんでいます。
名前の中に「金」の文字があるとおり、採鉱技術集団のトップだったのでしょう。この点は、金山彦にも通じるものを感じます。
鉱山を資金源に日本を席巻した熊襲の超有力者が九州から伊勢に展開し、その伊勢からこんどは、水神として北野の地に戻ってくる。
なかなかロマンのある面白い展開です。こういうのに出くわすから、神社めぐりはほんとうに楽しいのです。
話がそれてしまいますが、伊勢がなぜ神宮の建設地に選ばれたか、この点からもおぼろげにみえてきます。熊襲と大幡主が勢力拡大の拠点としたのが、当時の日本の最東端だった伊勢でした。尾張の国は「終わりの国」で、そこから先は、まだ日本ではなかった時代があったのです。
崇神王朝が神宮の建設地に選定し、前王朝(筑紫君)の紋である花菱紋を内宮と外宮に使いはじめたのも、過去の権力者を祀り上げる意図をもって行われました。そういう意味では、九州と伊勢はつながっているのです。
----------------------------------------
[福岡県神社誌(抄)]下巻366頁 並びに 419頁
[社名(御祭神)]一目連神社(天麻比止都禰命)
[住所]三井郡北野町大字中字大島
[境内社(御祭神)」記載なし。
----------------------------------------
(2019.10.13訪問)