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福岡県神社誌では、応和年間(961年~964年)に鎮座とあり、この地は天満宮だらけなのですが、そのなかでも古いものと言えそうです。
特筆すべきは、境内社の多さです。正面向かって左側に1社、右側に7社あります。おそらくは仁王丸地区で祀られていた様々なお宮を移転したものなのでしょうが、その数の多さをどう見るかです。
福岡県神社誌では、境内に7社あるとされます。ところが数えると8社あり、向かって右側で最も大きいお宮には、夫婦神と思われる御神像すらあるのです。いったいこれは……。
福岡県神社誌をよく見ると、大城村大字仁王丸字中屋敷に「寿福神社」があるとあります。御祭神は大己貴命とされているのですが、これを、福岡県神社誌に掲載の境内社7社に足すと、たしかに8つです。
この誰が誰かもよくわからないなかに、寿福神社もあるのでしょうか。
それにしても社殿の御祭神より、夫婦神とおぼしき御神像が気になります。かたわらにある木札をひっくりかえすと、鉛筆のような細い文字で「賽の神」とあります。ふつうならここで「ああ、大己貴さんか」と考えるのですが、福岡県神社誌には、猿田彦を祀る幸神社の記載があり、どうも猿田彦=山幸彦のようなのです。するとこの奥方は……お妃の豊玉姫こと、田心姫=道主貴ということになってしまいます。
むろん、猿田彦のお妃はひとりではないため、豊受姫=天細女(あめのうずめ)=お稲荷さんと解釈することも可能です。
旧三井郡大城村は宗像三女神の秘密がてんこ盛りの地域で、赤貧などがいまさら掘り返さなくても先行研究で埋め尽くされている場所です。なのに、こういう結論に到達した記事を、いまのところ見た記憶がありません。
なにか大間違いをしでからかしている可能性もあるので控えめに書いていますが、大発見かもしれません。あくまでも控えめに、豊受姫と猿田彦夫婦ではないかもしれない、とだけ書いておきます。
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[福岡県神社誌(抄)] 中巻170頁
[社名(御祭神)]天満神社(菅原神)
[社格]村社
[住所]三井郡大城村大字仁王丸字天神屋敷
[境内社(御祭神)]素戔嗚神社(素戔嗚男命)、稲荷神社(倉稲魂命)、老松神社(菅原大神)、忍骨命神社(天忍穂耳命)、大己貴神社(大己貴命)、地神社(倉稲魂命)、幸神社(猿田彦命)
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(2019.09.28訪問)