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県道77号線は、前の仕事場に通勤する際、ときおり利用していました。白坂峠は標高500m近くあるため、冬になれば積雪で通れないことがあります。また、夏場でも台風のあとは折れ枝が道に散乱しており、2,3日は回避するため、それらのときに、迂回路として利用するのです。
通りがかってはいたものの、いっぽん入った裏道にそんな神社があるとはまったく知りませんでした。
どこから入るのか、googleマップを見てもさっぱりです。たまたま見つけた石段をあがろうとしたところ、第一村人に「あんたどこ行くの?」と尋ねられました。
「この近くにお宮がありませんか」
「向こう。これは納骨堂に行く道だから」
「ありがとうございます」
どのくらい向こうなのかわからずキョロキョロしていると、別の石段を発見します。どうやら、これが入り口のようです。
山道をしばらく歩いていると、山城と見間違うような景色がひろがります。驚きました。
社殿には天満宮の扁額があるので天満宮には違いないのですが、山城に立て籠もったような雰囲気は、最初から菅公をお祀りするためにこのつくりになったとは考えにくいものです。
社殿にあがらせていただくと、本殿が5つ並んでいます。中央は左右に伴神像が配され、御幣が3つあります。祭神は菅公だけのはずなのですが、左右にも木像があり、どうやら菅公を祀る天満宮以前の姿があるようです。
向かって右端のみ「大権現」と扁額があり、仏像らしきものが安置されています。このあたりも、ただの天満宮ではないことを匂わせています。
正面向かって右手に、大神宮があります。近づいてみると、御神鏡がお祀りされています。
名前だけでけば、天照大神がお祀りされているはずです。
大神宮の左右に石祠があり、右手は梅鉢紋を彫った菅公がお祀りされており、左手は、祗園社です。
福岡県神社誌では、菅公以外の御祭神は、明治になってから近所の集落から合祀されたとあります。書き方からすれば、まず菅公を祀る神社があり、そこに同じ地区のほかの集落にあったお宮を合祀して、まとめて改築したということになります。しかし、どうも現地で感じるのは、菅公を祀る以前の祭祀があったのではないか、ということです。
それは、一段上にある天照大神かもしれず、菅公の左右に居るほかの御祭神(木像)かもしれません。将来的に、さらなる調査が必要でしょう。過去を知る貴重な資産の可能性があります。
【追記】
9月24日、図書館にて「筑前町史」「夜須町誌」を調べたところ、どうやら中央の3柱は、菅公、老松、福部の3神のようです。
ところが文献によっては、イザナギ、埴安命(大幡主)、高淤加美神とするものもあるそうで、おそらく菅公とその縁者で上書きされる以前は、イザナギ、大幡主、高淤加美神を祀る神社だったのでしょう。少し、謎が晴れました。
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[福岡県神社誌(抄)] 中巻21頁
[社名(御祭神)]天満宮(菅原神、伊邪那岐命、高淤加美神、埴安命)
[社格]村社
[住所]朝倉郡夜須村大字三牟田字浦山
[境内社(御祭神)]大神宮
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(2019.09.23訪問)