美風庵だより

幻の花 散りぬ一輪 冬日の中

朝倉郡筑前町曽根田 玉蟲神社(玉虫大明神)


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福岡県神社誌を最初はぐっていたときは信じられなかったのですが、本当に存在していて二度びっくりした神社です。
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屋島の戦い - Wikipedia

夕刻になり休戦状態となると、平氏軍から美女の乗った小舟が現れ、竿の先の扇の的を射よと挑発。外せば源氏の名折れになると、義経は手だれの武士を探し、畠山重忠に命じるが、重忠は辞退し代りに下野国の武士・那須十郎を推薦する。十郎も傷が癒えずと辞退し、弟の那須与一を推薦した。与一はやむなくこれを引き受ける。

与一は海に馬を乗り入れると、弓を構え、「南無八幡大菩薩」と神仏の加護を唱え、もしも射損じれば、腹をかき切って自害せんと覚悟し、鏑矢を放った。矢は見事に扇の柄を射抜き、矢は海に落ち、扇は空を舞い上がった。しばらく春風に一もみ二もみされ、そしてさっと海に落ちた。『平家物語』の名場面、「扇の的」である。
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平家物語の有名な場面ですが、この平家の挑発した美女が、玉虫御前とされています。
熊本の御船町が彼女の生まれた場所という伝承も残っています。
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熊本/くまもと平家遺産めぐり・玉虫寺跡(御船町) | 熊本県 国内現地情報ブログ | 阪急交通社

この女性は、御船(みふね)町の出身。(らしい)
御船町に玉虫という地名があります。
玉虫といえば、あのきれいな虫を思い浮かべます。
数年前に宇城市三角町の「郡浦神社」で見たきりで、最近は見かけませんねえ。
(そのとき捕まえようとしたんですが、飛んで逃げられました)
玉虫出身なので玉虫御前。バス停や公民館など、普通に地名で使われています。
玉虫御前が源平合戦の後、故郷に帰り、寺を建て、平家の菩提を弔ったと伝わっています。
その跡が「玉虫寺跡」です。
お寺は国道445号からちょっと入った分かりづらいところにあるんですが・
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一つの愛の物語を求めて!五家荘「鬼山御前伝説」 | まるごと八代!

平安時代末期の源平の戦い(屋島の戦い)で那須与一が射落とした扇を持っていた女官玉虫御前は、
鬼山と名前を変え泉町岩奥に落ち延びたと言われています。
平家討伐に来た与一の息子那須小太郎を追いかけ、引き留めるうちに愛が芽生え結ばれたと伝えられています。
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平安時代以降に、この筑前町曾根田小字玉虫に、玉虫御前と縁のあるひとが移住してきたと仮定しても、全く不思議ではありません。

「倉掛」さんの名字の由来、語源、分布。 - 日本姓氏語源辞典

拝殿にあがらせてもらうと、「倉掛」姓が目につきます。倉掛姓について電話帳データを調べると、福岡県筑前町と宮崎県高鍋町ばかりが目につくのが、お判りいただけることでしょう。伝承のある五家荘や八代市とは場所が異なるので証拠とはならないでしょうが、むかしの人々も相当な距離を移住してきたことだけは、たしかなようです。

では、玉虫御前と那須与一は本当に夫婦だったのか?

ある意味ではそれは本当だったのかもしれません。むかしは写メなどというものはありませんから、それっぽい恰好をした者が名乗ればそれで通じたわけです。本人確認なんて相当いい加減なものだったに違いないのです。ただの平家の落ち武者とその嫁であっても、本人が名乗れば那須与一だったり、玉虫御前だったりしたわけです。それは生き残りの策であり、責めるのは酷というものではないでしょうか。

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[福岡県神社誌(抄)] 下巻409頁

[社名(御祭神)]玉蟲神社(玉虫御前、那須与一

[社格]無格社

[住所]朝倉郡夜須村大字曽根田字玉蟲

[境内社(御祭神)]記載なし。
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(2019.09.23訪問)