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9月15日の夕方に、近場で未訪問だった旧馬田村の熊野神社を訪ねました。
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熊野夫須美神(熊野久須美命)・熊野牟須美神は熊野久須毘命の別名とする説が一般的だが、紀伊国熊野三社(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)では、家都御子神(素戔嗚尊)の母神である伊弉冉尊のこととされている。
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御祭神の樟日命については、先行研究にあるとおり、イザナミの別名という解釈があります。イザナミが重複して祀られているわけです。
熊野神社の基本的な御祭神の配置は,すでにこの日記でもだいぶ触れました。
国生みの神様が喧嘩別れ(派手に離婚)したではシャレにならないせいか、明治以降、イザナギとイザナミが別れたことを隠す方向で考えるようになっていきます。速玉男や事解男といった面々を表に出さないようにするか、イザナギ・イザナミ・(息子の)スサノオと強制的に当てはめていく解釈が主流となっていくのです。
大正6年(1917年)12月に村社昇格と福岡県神社誌に記載があり、おそらく、明治政府と復古神道の見解を受け入れて、昇格の際に御祭神を設定したのだと思います。
社殿の背後には、向かって左手に梅鉢紋の天満宮が2社ありました。向かって右手には、おそらくは天照大神を祀っていると思われる大神宮があります。
本殿はコンクリート造りになっており、拝殿の基礎部分は、すべてコンクリートに置き替えられていました。
境内の石碑には、平成3年(1991年)の台風被害により神社が損壊し、平成7年(1995年)に再建した旨の説明があります。
もっといろいろと資料を調べてみる必要がありそうなのですが、旧馬田村はなかなか神社関係の詳しい資料に巡り合わない地域なので、いまのところ手詰まりといったところです。
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[福岡県神社誌(抄)] 中巻24頁
[社名(御祭神)]熊野神社(伊弉諾命、伊弉冉命、樟日命)
[社格]村社
[住所]朝倉郡馬田村大字馬田字上小路
[境内社(御祭神)]記載なし。
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(2019.09.15訪問)