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オオヒルメノムチこと、天照大神=卑弥呼を祀る神社です。鳥居の扁額には堂々と、天照大神宮と彫られています。
ほかの御祭神は、明治44年(1911年)に合祀されたものと大刀洗町史にありますから、幕末から明治初期ごろは天照大神を単体で祀る神社だったととらえてよいかと思います。
現地を訪問すると、御神紋は柏紋です。驚きました。
柏紋を使う代表は、なんといっても事代主です。事代主は母方をたどると高木大神のグループにたどり着き、天照大神と系譜上は繋がっています。おそらく高木大神をふくめ、祖神を祀る神社として創建されたものが、ほかの祭神の祭祀が絶えて、結果として天照大神だけが残ることになったとみてよさそうです。
大刀洗町史には、往時、末社が十数社あったと記載があります。このあたりが、ヒントになるかもしれません。
柏紋であることといい、この甲條神社は、事代主(の一族)が祖神を祀った高木神社と同類ではないかと思えるのです。
とはいえ、事代主の母親である田心姫(=豊玉姫=道主貴)や、祖母にあたる万幡豊秋津姫が消えて、曾祖母である天照大神だけが祭神として残っていることに、少し不思議も感じます。
熱田神宮境内の上知我麻神社にお参りしたとき、すぐには気づかなかったのですが、崇神王朝にほんらいであれば完全に抹消されていてもおかしくなかったいろいろな神様を、事代主は残そうとしています。それは大幡主にも高木大神・天照大神にもつながる血縁のなせるわざだったのかも知れません。
どっちつかずの出自ゆえに、若いころは忌み嫌われ流浪するはめになるわけですが、最終的にはほかの神々をおしのけて、八神殿に祀られる大物となっています。そう考えると不思議な存在で、これからもしっかりと勉強していかなければなりません。
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[福岡県神社誌(抄)] 中巻195頁
[社名(御祭神)]甲條神社(オオヒルメノムチ、大己貴命、素戔嗚尊、倉稲魂命、天之御中主)
[社格]村社
[境内社(御祭神)]記載なし。
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(2019.09.14訪問)