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この老松神社の最初の姿は、なに神社だったのでしょうか。
福岡県神社誌を読むと明治44年(1911年)に、
字十楽 大己貴神社から、大己貴を合祀
字中曾理 志賀神社から、底筒男を合祀
とありますから、菅公と応神天皇が最初の御祭神だったことになります。
つまり、八幡宮もしくは玉垂宮を上書きした存在が、この老松神社ということになるのです。
安元元年(1175年)創立とあるのは、老松神社となった時期を指しているものと思われます。
赤貧が興味深く感じたのは、銀杏の木の下にある祠の存在です。
大刀洗町史では、本社と同一の祭神を祀っているとのこと。
となれば、もとはこちらに菅公もしくは菅公の関係者が祀られていたのが、のちに本殿まで上書きされたとみるのが自然です。福岡県神社誌に境内社の記載がないのは漏れではなく、そのあたりの事情を考慮して、書かれていなかったのだと思います。
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[福岡県神社誌(抄)] 中巻198頁
[社名(御祭神)]老松神社(菅原道真、応神天皇、武内宿禰、素戔嗚尊、大己貴命、底筒男命)
[社格]村社
[境内社(御祭神)]記載なし。
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(2019.09.14訪問)