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本殿となる石祠にそのままコンクリート製の拝殿をめりこませて作られた神社です。
耐久性が高そうなつくりはよいのですが、手押しポンプが手水のところにあるけれど動かないし、手入れはどうも怠っている様子です。
通説では少童神は3人居ることになっています。
すでに赤貧も過去の日記でこの点をどう解釈するか、田川郡川崎町安眞木の川上神社で触れました。
では、今回も同様に解釈できるのでしょうか?
社殿に入らせていただくと、御神体は1柱です。となれば、もとの海神社という名前を手がかりに、大幡主の子で、大海祗(おおわだつみ)でもあった豊玉彦という可能性もありうるでしょう。豊玉彦は、少童神三神からみると、曽祖父にあたります。または御神体が1柱のみ残り、なんらかの理由で2柱は失われたかです。
御神紋は三つ巴紋でした。住吉さまや八幡さま、もともと海人一族が奉斎した神の紋章です。こんな内陸部でも、しっかりと御先祖様を祀る祭祀が続けられていた貴重な場所といえます。
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[福岡県神社誌(抄)] 下巻411頁
[社名(御祭神)]海神社(底津少童命、中津少童命、表津少童命))
[社格]無格社
[住所]朝倉郡福田村大字小田字入籠
[境内社(御祭神)]記載なし
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(2019.09.11訪問)