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拝殿にあがらせていただき、御神体を撮影しながらふと右手を向くと、神社修繕工事の記録があり、通称が「はるのみや」と呼ばれていると記載がありました。
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皇太子の別称。「東宮」とも書く。『職原抄述解』に東宮は皇太子の御座所をいい,春宮はその官舎のことをいったとみえ,本来は皇太子の別称ではなかった。皇太子に奉仕する官司を春宮坊という。
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「はるのみや」は「春宮」と書きます。今回は引用が簡単なコトバンクのリンクを掲載しましたが、みなさまの手元の辞書で引けばわかるとおり、皇太子を指します。
天神社の御祭神は埴安命こと大幡主(たのかんさー)です。
彼の子供で有名どころと言えば、まずは山幸彦こと猿田彦ですが、もうひとり、ヤタガラスこと海神 豊玉彦が居ます。
境内が広く、社殿の隣にほとんど規模が変わらないお宮がもうひとつ存在します。
福岡県神社誌では、天神社と同じ小字に宝満宮があると記載されています。これが宝満宮でしょうか?
となれば、神功皇后の三韓征伐のとき、加勢して父 豊玉彦に満珠・干珠を借受にいった玉依姫が、父君の隣に祀られていることになります。
ただ、おそらくはこのあたりの関係性は、現在の住民には受け継がれていないようです。それが証拠に、天神社の御神体が納められている厨子には、梅鉢紋が打たれています。
とはいえ、ここには大幡主とその子孫に対する濃密な信仰があったことは疑いがないようです。
(2019.09.01訪問)