美風庵だより

幻の花 散りぬ一輪 冬日の中

福岡市博多区上川端町 櫛田神社


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櫛田神社 (松阪市) - Wikipedia

櫛田神社 (福岡市) - Wikipedia

櫛田宮 - Wikipedia

博多総鎮守 櫛田神社を訪問しました。

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あまり広いとはいえない境内に摂社末社までびっしりと神様がお祀りされており、赤貧が到着したのは9時過ぎでしたが、すでに中国人や朝鮮人の観光客のかたが多数観光されていました。

櫛田神社の御祭神は大幡主、天照大神スサノオとされています。

大幡主命:玄松子の祭神記

大幡主を祀る神社は、新潟・佐渡や三重・伊勢にパラパラと存在している程度で、一般的にはあまりメジャーな存在ではありません。博多の真ん中だけのためにある神様のような印象すら受けてしまいます。

しかし、すでに様々な先行研究をもとに、私たちは田神社・天神社に祀られているタノカンサーが、大幡主の隠された姿だと知っています。三ツ盛亀甲紋が、いわゆる出雲系とされる神様につながる系譜であることも、知っています。

ここまで隠される理由はなにか。

間違いなく現皇室(崇神王朝)につながる系譜にとって邪魔だったからでしょう。

同じような存在に、高良玉垂宮(高良大社)と玉垂命があります。

ただ、こちらは「筑紫君」という前王朝の「君主」であり、そう簡単に塗り消したり、隠したりできるものではありませんでした。記紀では武内宿禰という人物に仮託し、神功皇后の配下として登場させ、活躍させることで、帳尻合わせをはかりました。

祭神を変更して八幡宮などに切り替えたところがほとんどのなか、熱心な信仰をもつ少数のひとびとにより、玉垂宮(高良神社・玉垂神社)は、現在も少数ですが生き延びています。

では、この櫛田神社の場合はどうでしょうか。

気になるのは、御神紋です。スサノオさんが俗に織田木瓜と呼ばれる五角の御神紋です。これは花菱や木瓜紋の変型であり、祀られているひとの位の高さを示しています。
中央が大幡主で、これは先に書いたとおり三ツ盛亀甲紋です。亀甲紋は、出雲系とされる神様に引き継がれていきます。

向かって右手は桜紋です。天照大神を祀るとされていますが……すでにこの日記を読んだかたは、桜紋と言えば大山祗とコノハナサクヤヒメを真っ先に想像するでしょう。
ほんとうにここに天照大神が座っているのかという疑問は以前から抱いていましたが、久しぶりに訪問してみて、やはりここは素直に大山祗とその血縁一族と考えてもよいのではないか、という気がしているところです。

「先日、おまえは八岐大蛇伝承は、金山彦の肩をもったスサノオが大山祗を追っ払った話と書いたじゃないか。なぜ横一列に並んでるんだ?」といぶかしがる向きもあるでしょう。

じつは自分でもここが謎なのです。

大幡主と大山祗の仲については、大山祗の子 大己貴を大幡主がムコにとり、後継者「大国主」としたことでもわかるとおり良好でした。

大山祗の別名は月読命であり、現在も神宮の内宮・外宮にそれぞれ別宮(月読宮・月夜見宮)を建ててもらえるほどの大物だったのは、すでにこの日記にも書きました。現在は愛媛の日本総鎮守大山祗神社にお祀りされています。

嘉麻市椎木 天神社 - 美風庵だより

天照大神(+高木大神)と大山祗(月読命)は、仲違いをしています。農林業水産業の専門技術者たちを奪い合った可能性があり、おそらく天照大神と高木大神の子 ニニギと大山祗の子 コノハナサクヤヒメの結婚生活は、短いものだったのではないでしょうか。

記紀を信用するなら、スサノオ天照大神の怒りをかって高天原を追放されます。新羅のソシモリに潜伏後、五十猛命こと猿田彦(=山幸彦)の手引きにより日本に再上陸します。

山幸彦と海幸彦 - Wikipedia

山幸海幸の話はよくまとまっているwikiを読んでいただくとして、海幸彦(天之忍穂耳)に対抗して山幸彦を3年間かくまった海神とは誰か、という話になります。

これが大幡主ではないかと考えるのです。

いわば、高木大神+天照大神グループからの離脱者をどんどん受け入れた存在であり、高木大神+天照大神グループからみれば、黒幕に映ったことでしょう。玉垂命よりも、或る意味徹底して消去された存在なのも、むべなるかな、という気がします。

すると、ここが櫛田神社となぜ呼ばれるようになったかも、おのずと見えてきます。
おそらく最初は天神社か田神社、または地録神社だったはずです。ただ、それでは大幡主が表に出すぎてしまいます。三重・伊勢や佐賀・神崎の櫛田神社の名前を借りて偽装したというのが、ほんとうのところではないでしょうか。

佐賀・神崎の櫛田宮と御祭神が異なるのも偽装のために名を借りたものとみれば、理解できます。大山祗を桜紋だけ残して、天照大神で上書きしたのも、生き残るための偽装工作のいっかんだったのでしょう。
 
現地に行けばわかりますが、櫛田神社の隣に恵比須神社があります。えびすさまは、事代主のことです。

田川郡添田町津野 高木神社 - 美風庵だより

事代主は母系をたどると高木大神の系譜にたどり着きます。離脱者をかくまって一家をなした大幡主の祭祀が完全に潰されなかったのは、大幡主の後継者である大国主と、事代主の関係が影響したのだとみています。事代主は蛭子神とさげすまれた言い方をされることがありますが、この敵味方どっちつかずの微妙な位置関係を示していたのかもしれません。ただ、このような存在がいたからこそ、完全に潰されずに大幡主の祭祀が生き残っているわけで、古代を知ろうとする私たちは、その点は感謝しないといけません。記紀だけを頼りに通説どおりの解説をするのであれば、まったく無用ですが……。

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(2019.08.25訪問)