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8月24日、朝7時半に家を出て、神社めぐりに出かけました。
最初は、筑前町曽根田の大山祇神社に向かいました。
集落内はゼンリンで見るかぎり、個人宅に進入しなければ方向転換もできない感じだったため、板根集落手前の県道が広くなっているところに駐車しました。
先週買ったモンベルのトートリュックに荷物を入れて、登りはじめます。


川の合流点に神社があり、石段は最初は後から整備されたものですが、途中から、古いむかしながらのものになります。このあたりから雰囲気が変わり、威厳を感じます。御神域とあらためて書きたくなる、上品さがあります。
鳥居の前に、筑前町教育委員会が設置した案内板があり、大山祇と埴安命を祀るとあります。埴安命は、この日記ではおなじみの大幡主(タノカンサー)です。
ほんの数か月前まで、赤貧自身もまったく大幡主=タノカンサー=埴安命がぴんときませんでした。ネットで公表された先行研究を読んでも、まったく実感がなく「?」といった感じでした。しかし、実際にあちこち出歩いてみると、だんだんと気づくものです。
登る途中でなんとなく、川と川のあいだにある立地をみれば、山崩れの鉄砲水で集落が直撃されることのないよう、利水の願掛けがなされているとも思えてきます。
山にいちばん近いところに神社を建てて願掛けをし、集落があって、もっとも押し流されやすい下流側を田んぼにする。古い集落の構造そのままです。伝統的な住環境が、よくわかります。



ここでは、オオヒルメノムチ(天照大神=卑弥呼)が、御神池をともなって水神様として祀られていました。
そして、社殿左手に摂社があります。どうやらこれが教育委員会の案内板にある「大神宮社」のようです。「おおみわのみやしゃ」とルビが振られていましたので、大己貴(大国主)か大物主(大山咋)が祀られているのでしょう。
筑前町弥永の大己貴神社は大神神宮と扁額にあり大物主を祀るのではないか、という意見があります。ただ、そうなると延喜式に式内社「於保奈牟智神社」として掲載されていたことと矛盾してしまいますので、やはりあの弥永の大己貴神社は大己貴を祀っていたのだと考えています。その後、大物主の大神神社(おおみわじんじゃ)に上書きされ、後世、大物主と大己貴(大国主)が同一視されるようになったことで、ふたたび大己貴が前面に出るようになったと見ています。簡単に言えば、時代が下っていくにつれ記憶がうすれ、ほんとうは後世の分家である奈良の大神神社からの逆反映で、中身が上書きされたということです。
なかに入ってよく見ると御神鏡が祀られています。
そして、本殿裏にまわると、御神木の跡や、石碑が集められた一角があります。
パワースポットなる流行の横文字は使いたくないのですが、明るい雰囲気のなか、ふつうとは異なるものを感じます。古びており、色気も商売っ気もなにもない場所ですが、清浄さのある土地とは、このような場所を言うのだと思います。
(2019.08.24訪問)