美風庵だより

風にちる 花のゆくえは 知らねども

小郡市松崎 天満稲荷神社


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小郡市の歴史を守る会 :: 松崎藩

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稲荷神社(倉稲魂神社・ウガノミタマジンジャ)は寛文12年頃(1672)松崎藩主有馬豊範が松崎城を築成した後、城の守り神として京都伏見稲荷から勧請しました。
天満神社は松崎藩が天領となった時の初代代官服部六左衛門が元禄2年(1689)、松崎の鎮守として古原筒ヶ池の東側に下岩田念島にあった天満宮を遷し、さらに天満宮大正4年(1915)神社合祀により現在地に遷され、「松崎天満稲荷神社」と呼ばれるようになりました

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小郡市松崎字城山にある天満稲荷神社を訪問しました。道をはさんで隣に県立三井高校があり、この一帯は、江戸時代の一時期、松崎城(松崎陣屋)があったとされている場所です。

もともと、お稲荷さんを有馬の殿様が勧請し、改易で天領になった折に、あらためて菅公を祀りなおしたとされているため、おそらく最初の姿であろう稲荷神社に近づいてみます。

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幕に打たれた御神紋が三階松です。簡単に言えば宮地嶽神社であり、若き日の玉垂命=筑紫君の紋章です。現在は倉稲魂=豊受姫を祀っているのですが、その前の姿は、宮地嶽神社だったようです。驚きました。

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社殿をぐるりと一周してみました。まず本殿の屋根には、梅鉢紋と三階松紋があります。拝殿の瓦は、流れ三つ巴紋が打たれています。三階松紋は宮地嶽神社であり、流れ三つ巴は宇佐神宮八幡大神の紋として使用されているものです。いずれにしても、お稲荷さんでも天満宮でもないなにかであったことを示しています。

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御神橋を渡ったところに、祠があります。近づいてみると、スサノオでした。祇園様です。福岡県神社誌の記載どおりなら、境内のどこかに是善神社(菅原是善=菅公の父)があるはずですが、発見することができませんでした。

 
あくまでも現地初見の印象ですが、久留米藩支藩 松崎藩成立前までは、おそらくここに宮地嶽神社か玉垂宮が存在していたのだと思います。有馬の殿様の手により、伏見稲荷が勧請され、つづいて天領となって、菅公が祀られたのでしょう。

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(2019.08.10訪問)