美風庵だより

幻の花 散りぬ一輪 冬日の中

久留米市北野町上弓削 法皇宮


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後白河天皇を祀る神社です。この地と後白河天皇になんのご縁が?と福岡県神社誌を見て、赤貧が目を丸くしたのは御想像のとおりです。

境内に、皇大神宮の祠があります。ほかになにか手がかりとなるものはないかと探してみましたが、どうもよくわからない。

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高良大社歴史年表 - 筑後国一の宮 高良大社:公式ウエブ

673(天武2)仏教高良山に入り、高良の神・仏教帰依の託宣を下す。
677(天武白鳳6)隆慶上人・神宮寺高隆寺を創建する≪隆慶伝≫

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答えは高良山にありそうです。高良山に仏教を持ち込んだ隆慶上人の母親が弓削氏です。弓削氏はのちに怪物を輩出しています。弓削道鏡です。

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京都・東寺献上 弓削塩|弓削の荘

弓削島における塩の歴史は古く、平安時代末期には時の権力者、後白河法皇の荘園として瀬戸内海有数の製塩地でした。その後、後白河法皇から皇女宣陽門院に譲られ、さらに鎌倉時代になって弘法大師ゆかりの東寺に寄進され、東寺領として弓削島荘の歴史がはじまり、以後室町時代まで続きました。

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弓削という地名と、後白河天皇はまったく無縁でないことがわかります。

考えられるのは、つぎの2つ。

(1)弓削氏の子孫が道鏡を祀るお宮を建て、カモフラージュに後白河天皇を祭祀していることにした。

(2)弓削島からの移民である。

(2)は100%否定できませんが、(1)に比べるとあきらかに可能性はひくいと思います。ただ、弓削氏後白河法皇を結びつけるきっかけではありますから、全否定もできません。ほかに、この両者の接点で考えられるものはないか、勉強してみることにします。

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(2019.07.27訪問)