大きい地図・ルート検索 ( powered by ゼンリン地図 いつもNAVI )
古代史探訪の観点でいえば、幕末から明治初期に流行した殿様を祀る神社に来てもしょうがないのですが、近くの鶴羽根神社で予想外の収穫をしたこともあり、こちらも訪問しました。
----------------------------------------
歴史・由来 | 饒津神社
御神号は京都・吉田良長に草案を依頼し、「蒼垣・饒津・功健・瑞国・振玉」の五通りが示され、長懋(ながとし)公(斎粛公の叔父)の御選択により「饒津大明神」と定められた。
饒津の意味
饒…じょう・豊・食物やものが十分である。土地が肥えている。
津…港・船着場・川辺・海辺。
「広島の町が物が豊かな水の都となるように」
----------------------------------------
人間が御神号を決めるというのも天地逆転不敬の極みという気もしますが、じつは神道というのはそういう側面を持っています。東照宮の東照大権現がまさにそうで、このあたりの関係は、以下の記事を読むとよくわかります。
いろいろ省略して簡単に言えば、仏さんの戒名に似た感覚で、御神号がきまっていたのです。
いずれ時代がたてば、A倍宮とかA生神宮なんてものが登場したりするのでしょうか。飯塚市柏の森のあたりは麻U家の所有地だらけですし、新飯塚駅も近いし、宮地にするにはもってこいでしょうけどね……。
女系天皇が可能になれば、すでに皇室に食い込んでいるA生さんなんて、真っ先にクラス替えできる勢力でしょう。一般庶民がとうていここらが判って女系天皇賛成しているとは思えません。設問が悪すぎます。女系天皇と言い換えるからよくわからなくなるのであって、簒奪されたあとの皇室に権威を認めますか?ときちんと質問するべきなのです。
ちなみに、松下幸之助社は実在します。こちらはいずれ行ってみたいと思います。
(2019.07.12訪問)