大きい地図・ルート検索 ( powered by ゼンリン地図 いつもNAVI )
鉄筋コンクリートのつくりで、建物的にみるものはないのですが、他国(この場合の他国とは、安芸の国以外という意味でしょう)の船がここまでやってきていたことを示すところに、注目しました。
御祭神は、大綿津見神(=大海祗=猿田彦=ニギハヤヒ)とされています。
案内では若宮社という境内社があるようですが、お稲荷さんのほかは発見できませんでした。この若宮が御祭神の若宮(お子さん)であれば、大綿津見の子ですからウガヤフキアエズかもしれないと思ったのですが、そこまでは考えすぎでしょう。
社頭の案内板では、広島市旧市街で最もふるい神社と考証されると書かれています。御神紋は、三つ盛亀甲に花菱です。猿田彦の子がウガヤフキアエズで、その嫁の下照姫の母親が市杵島姫です。系図上孫世代までくれば接点はあるし、おそらくその世代が白島に展開したのではないかと考えることもできますが、もっと簡単なのは、御祭神が時代が下るうちに統合整理され、海の民の漠然とした痕跡が残った、と考えるほうが自然な気もします。ようするに、どこかでごっちゃになったのでしょう。
いずれにしても、ここも重要な拠点であることは間違いありませんが、とにかく手がかりが少ない。
神社の玉垣に残る姓氏を調べてみました。九州よりも、東北や北海道でみられる姓氏が多く、これを手がかりとするのも困難です。これを、東へ進出した痕跡とみるのか、西に展開した痕跡とみるのかは、まだ何とも言えません。ひとつ気になったのは、意外と北陸地方にも分布している姓氏が多いことです。日本海側との接点も、チェックしておく必要があるかもしれません。
(2019.07.12訪問)