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年休をいただいて所用で出かけた帰路に、前回訪問できなかった春日市須玖の老松神社をまとめて巡回することにしました。この須玖南にある老松宮は「上の宮」と呼ばれています。
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歩いて5分ほどで、須玖北5丁目にある老松宮に到着します。ここは「中の宮」と呼ばれています。
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須玖北3丁目にある住吉神社は、「下の宮」と呼ばれています。
旧村社として福岡県神社誌に記載があるのは、「上の宮」です。御祭神は菅公とされており、スサノオを祀る末社がぽつんとあるだけで、周囲には手がかりになりそうなものがありません。
「中の宮」と「下の宮」については、無格社一覧にそれぞれ一行のみ、これも「中の宮」が菅公、「下の宮」が住吉三神を祀るとあるだけで、現地情報も乏しく、手のつけようがない状況です。
ただ、「下の宮」を訪問して気づいたのですが、以前、「玉福食堂」というタレの美味しい焼肉屋さんを知人に教えてもらったとき、バス停をひとつ間違えて下車し、迷いこんだ場所でした。鉄筋コンクリート+土間の拝殿を見て、近所の神社(町内会で奉仕している旧無格社)を建て替えることになったら、コンクリの土間にパイプ椅子で充分。これにパイプ椅子とかを入れる倉庫をつけるくらいでよいのではないか、と考えたのを思い出しました。
下の宮から歩いて5分ほどで、「地禄天神」の石碑があります。もともとはちゃんとした祠か社殿があったらしいのですが、現在はなくなっています。「地禄」も「天神」も公式には埴安神を祀るとされています。埴安神は、一説にはタノカンサー(大幡主)とされており、おそらく、それが正しいと赤貧も感じています。
そして、道路をはさんで反対側には、一説に伏見稲荷と神宮外宮の発祥の地「白川伯王益寿稲荷神社(出勢稲荷神社:いせいなりじんじゃ)」があり、とうぜんお参りしました。コップ酒を買うのを忘れたため、祠に100円ずつ、ぜんぶで400円お賽銭をお供えしました。
現行の地理院地図で、今回歩いた5か所を赤丸で囲ってみました。
国土地理院の航空写真で、「最新」と表示されたものと「1945」を選択して表示されるものを、両方キャプしてみました。須玖のもともとの集落に「上の宮」があり、川を下るところに「中の宮」、さらに「下の宮」とあるのがわかります。現在バスが通る県道は直線すぎており、おそらく、戦後すぐに建設されたものでしょう。
「下の宮」は、海側からみた村の玄関口を示していたのです。川幅も現在より広く、戦前は水運もあったかもしれません。となれば、ここに海の神様安曇磯良(御承知のとおり、あとの2人は崇神天皇と玉垂命=筑紫君=武内宿禰)を祀る住吉神社があるのも、理解できます。
(2019.07.11訪問)