松村かえるの「かえるのねどこ」

旧「美風庵だより」です。

朝倉市甘木山領町 於茶屋稲荷神社


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現地の案内板にも、鳥居の扁額にも「鎮火稲荷」という文字はないのになぜがgoogleマップでは鎮火稲荷ということになっています。

もとは、殿様が利用する宿泊所にあったお稲荷さんとのことで、小さい祠ではあるものの、きちんと掃除が行き届きお参りしやすい場所です。

場所はかなりわかりにくく、自転車や人間がひとり通れるくらいの幅しかない里道のさきにあります。

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◇火除け福招きの神
『於茶屋稲荷』のお祭りと由来-この稲荷は、山領町平井家(太閤秀吉が九州征伐の時、休息されたという家)にまつられてあったが寛永14年島原陣に、諸大名が甘木通過の際、この於茶屋荘(宗官家の屋敷で、黒田福岡藩主の於茶屋-休息のあった由緒あるところ)に、右稲荷を移転したものであった。それは当時諸大名が非常に稲荷を信仰したのでその縁起をとるために、諸大名の休息にあてられたこの於茶屋荘に、稲荷を移転したものといわれます。

◇初午祭の由来
和銅4年2月7日、大神が稲荷山に鎮座された。この日が初午であったので、初午を縁日としお祝いするもので福詣とも云います。又、稲荷大神は農耕神で五穀豊穣の守護神ですが殖産の発展と共に商売繁昌、家内安全、健康息災を守護する生命の守護神として信仰を集めています。

【霊験その1】
下記は有名な甘木の大火であるが、この稲荷だけは無事であった。
1、元禄2年の大火
2、宝永元年の大火
3、享保21年正月7日(522軒の大火)
4、宝暦10年8月22日(366軒の大火)
5、寛政6年2月3日(100余軒の大火)
6、明治36年11月3日の大火

【霊験その2】
江戸時代は福招きの稲荷として、一般の家や、農家でもイネの神として広く信仰され、商家では、家業の繁栄をもたらす稲荷として信仰が殊に篤かったと伝えれる。
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 (2019.07.09訪問)