赤貧が子供のころ、この神社の隣が理髪店でした。もうおそらく廃業されているはずです。事前に連絡すれば日曜でも年末でも仕事してくれるため、中学生くらいまでたまに利用していました。
英彦山が領地管理のために各地に置いた高木神社(大行事社)は、役所の出先機関を巡回するようなもので、面白い拠点に出くわすことはなかなかありません。
ここ、小石原の大行事社は、おそらく高木神社となる前の前身があったと思われ、地域の信仰をうかがい知ることができます。
福岡県神社誌では、御祭神はタカミムスビ、イザナギ、イザナミとされています。
子供のころの記憶のまま、数十年ぶりに再訪してみて、あまりの社殿の傷み具合に愕然としました。動物の侵入を防ぐためなのでしょうが、イノシシ除けの鉄柵が窓代わりに使われており、破れはトタンで補修されています。しかも裏山(宮山)は木がほとんど切り倒されており裸山になっています。
かろうじて、拝殿の彫刻が過去の繁栄をとどめています。龍、ブドウ、鯉、鳳凰、それぞれの彫り物のすばらしさは、いま、これをやろうとしても受注してくれる職人が居るだろうか?とすら思えるほどです。
この神社が英彦山の出城というだけではなく、地域の信仰センターだったことを物語るのが、摂社・末社の存在です。
「小石原村誌」に掲載されている江戸時代の絵地図では、社殿の手前に天満宮・お稲荷さん・疱瘡神(疫病の神様)があります。その反対側に名前のない社がありますが、これは祇園様で、現在も3つの末社の一段下に建っています。
福岡県神社誌では、境内神社は「天満宮・稲荷神社・志賀神社・須佐神社」とあり、疱瘡神の代わりに志賀神(=住吉三神)が入っています。
現地を久しぶりに訪れて驚きました。向かって左から「田の神」「水の神・庚申神」「山の神・淡島神」となっているのです。タノカンサー(大幡主)、ミズハノメ、猿田彦、大山祇、事代主というわけです。福岡県神社誌では志賀神社となって消えた疱瘡神が、淡島神(医薬の神様で事代主の別名)となって復活しています。
タノカンサーだけが、石でできた御神像が祀られています。ひげをたくわえたそのお顔は、たしかに菅公ではないのはわかります。それ以外の2つの祠は、ごろごろと何個も御神体の石が祀られており、石が全部で9つあるから少なくとも9体は、神様が居る勘定になります。
そうなると、この中には疱瘡神もお稲荷さんも、別に存在しているのかも?しれません。
清浄な御神池や、しっかりとつるが張った藤棚を眺めていると、こんなよい雰囲気の神社なのに、もったいないと思えてきます。少なくとも、赤貧の住んでいる地区にある旧村社や、実家があるところの某高木神社よりか、あきらかにものが上なのですが……。
(2019.07.07訪問)