市杵島姫を祀る神社は、宗像神社や厳島神社だけでなく、琵琶湖の竹生島神社もあります。神仏習合で行われていた弁財天の祭祀を、明治政府がいかにして破壊したかについては、先行研究をお読みいただければと思います。
赤貧の家から車で30分ほどのところにも、竹生嶋神社があります。
福岡県神社誌によれば、明治6年に村社とされたとのことなので、本家の竹生島神社の神仏分離とほぼ並行して、神社化が行われたことになります。
弁財天を祀る神社としてはやたらと立派な気もします。とくに社殿が一段高く、手前に庭がある様式は、民や臣下に命令するための場所を確保したものであり、弁財天のお宮としては、どこか違う印象をうけます。
おそらく、江戸時代に弁財天信仰が持ち込まれる前に、なにかのお宮があったのではないでしょうか。それも、高貴な神様を祀る神社が。
それにしても、扁額は見事なもので、もともとは竹生島宮と呼ばれていたのが、わかります。
福岡県神社誌によれば、境内社として田神社があるとのことでした。
石段脇に御堂があったので、近づいてみると、観音様の御堂でした。
田神社を探し当てることができませんでしたが、どこかで見落としたのかもしれません。
(2019.07.06訪問)