美風庵だより

幻の花 散りぬ一輪 冬日の中

朝倉市甘木水町 屋須多神社

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境内に「分祀百五十五年祭記念」と書かれた石碑があり、「文政十年十月山門郡瀬高町八坂神社境内屋須多神社より分祀す」とあるので、1827年からお祀りされている神社なのだとわかります。

福岡県神社誌では、御祭神が大己貴となっています。火伏せの神様がなぜ大己貴なのか?
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kusennjyu.exblog.jp伝説 上庄の屋須多さん
伝説によれば、昔、修業行者(山岳にこもって修行する人)が、上庄の地を訪れ、民家に一夜の宿をとられました。その民家の主人は貧しかったけれども、快く労をねぎらい丁重にもてなしました。
翌朝、修業行者は主人に、
「この地に火災が発生した時のために、水神様の御守りを納めておきましょう。もし、火事が起きたら『屋須多』と私の名をとなえなさい。そうしたらすぐに火事は消えるでしょう。」
と言って別れを告げましたので、八坂神社の大楠の辺りまで見送りましたが、いずれとなくわからなくなってしまったと言うことです。
そのあまりの不思議さに、土地の人々は、これは八坂神社の生まれ変りであろうと、今日まで語り伝えられております。
その後、町内に火災があるたびに、「屋須多さん」の名を呼べば大事にいたらず鎮火しておりますので、お札や御幣を家々に祭って大難をのがれていると言われています。
例年、祭祀の12月1日には、瀬高町内はもちろん、遠くからも参拝者があり、にぎわいを見せています。
戸次求馬著「南筑明覧」より。
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この伝説を読むかぎり、罔象女神(みずはのめ)をはじめ水神様をお祀りする神社ではないかと思えるのですが、福岡県神社誌では「大己貴」なのです。

社殿はいつも横の道から丸見えです。しかし今回は敷地内にまわり、間近で眺めてみました。向かって右手に猿田彦、左手に石仏、真ん中の石祠が大己貴という組み合わせです。

たぶんこの3つに脈絡はないのだと思います。左右は、境内に合祀された神仏なのでしょう。となれば、屋須多神社となる前から、大己貴を祀る神社がここに存在したと考えるほうが、理に適っている気がするのです。

しかし、屋須多さんは何者だったのでしょうか。

(2019.07.04訪問)