美風庵だより

幻の花散りぬ一輪冬日の中

朝倉郡筑前町弥永 田神社

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スポット050 筑前町に「日隅宮」を発見した! | ひぼろぎ逍遥

すでに先行研究があり、赤貧ごときの知識でなにか新しい見解を付け加えることもできないため、触れないでおこうかとも思ったのですが、松峡八幡宮を実見した帰路、立ち寄りました。

田神社がこのエリアに多数存在するのはむかしから謎で、埴安命=ハニヤスって誰?状態だったのですが、大幡主と大山祇の合祀だという説に触れて、やっと合点がいった経緯があります。

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田神社の境内には、日隅宮(ウズノミヤ)がしっかりとありました。

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出雲大社 - Wikipedia 
高皇産霊尊は国譲りに応じた大己貴命に、「汝の住処となる「天日隅宮(あめのひすみのみや)」を、千尋もある縄を使い、柱を高く太く、板を厚く広くして造り、天穂日命に祀らせよう」と述べた。(『日本書紀』)
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タカミムスビは高木神です。アメノオシホミミとともに英彦山に居た神様が、「りっぱな墓(神社)は建ててやる。墓守はつけてやるから」と言って大国主という尊称とともにあの世へ追放した(友愛した)というのが、赤貧の理解ですし、ほとんどの一般人の理解でもあろうかと思います。

出雲じゃないの?と、にわかには呑み込めない事実ではあります。

大己貴を奉斎する一族が彼の墓所として延々と残してきたと考えるべきか、ほんとうにここが終焉の地だったか……。どちらかといえば、赤貧は前者のような気もします。

栃木県に宇都宮(ウツノミヤ)があり、二荒山神社の御祭神は江戸時代まで大国主とされていました。それを考えれば、大国主の一族は、移住先でもこの名前で祖廟を祀っていたと理解しています。決して出雲大社だけがウズノミヤではないのです。移住した各地に、ウズノミヤはあるのです。

ここが、祖神と崇めるふりをしながら、神宮を伊勢に追放した崇神天皇一派と違うところです。

大己貴神社と車で数分の距離ということもあります。この地には、相当に濃厚な大己貴の血縁が残っていたのか……。もしくは、出雲の原型なのか……。

(2019.06.24訪問)