美風庵だより

幻の花 散りぬ一輪 冬日の中

北九州市小倉北区京町 瘡守稲荷神社

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小倉駅ペデストリアンデッキから、アイムを見上げると、神社がみえます。

これが、瘡守(かさもり)稲荷神社です。

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小倉駅前のアイム(最初は小倉そごう、続いて玉屋、さらに伊勢丹、そしてコレットだった建物)12階にあります。
学生のころ仲良かった女性の実家が小倉競輪場近くにあり、そのお嬢さんと一緒に来たとき、教えてもらった記憶があります。
「ここはむかし寺と神社があったところで、お侍さんの骨が1,000体発見された」「地下にお侍の幽霊が出る」と、まるで心霊スポット扱いの言いかただったので、彼女の丸っこい顔といっしょに、よく覚えています。
(注)あくまでも噂なので、誇張があるかもしれません。
 
西小倉駅近くに知人の事務所があるため、たまにアイム9階の書店は利用するのですが、そこから上にエスカレータであがることはありませんでした。赤貧は霊感はないはずですが、リバーウォークなどと比較してもどこか空気が重く、長居すると首が重くなり、帰宅してすぐ風呂に入らないとしんどいのです。
 
さいきん、神社ネタをどんどん書くようになって、ふと、思い出しました。

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じつに立派なお稲荷さんですが、可哀想にまったく緑がありません。また、鎮守の神様と言いつつ、このお稲荷さんに対する案内表示はまったくないし、出入り口すら探さないとわかりません。

お守りの自動販売機というのはたまにみますが、御神札の自動販売機というのは斬新でした。
小倉そごう、玉屋、伊勢丹コレットと何度も店を変えてきた原因のひとつは、このお稲荷さんの扱いにあるのではないか、という気もしてきます。

つばめの杜ひろば | JR博多シティ/アミュプラザ博多公式サイト

新しい博多駅ビルにも鉄道神社がありますし、上手くやれば御利益もあるような気がするのですが。
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寛永(自一六二四年至一六四四年)の頃、小倉城主小笠原候に仕える真砂政次郎と言う武士が、主君に従って江戸に滞在するうちに、花柳街に遊び瘡疾(性病)を患いました。
当時の医薬では効果少く、友人の勧めで江戸南方の瘡毒に霊験新といわれる瘡守稲荷神社に詣で、平癒を祈願しました。その時政次郎は、「速やかに癒えしめ給わば、帰郷して祠を建て、厚く敬ひ奉らむ」との誓詞を捧げました。その甲斐あって、幾許もなく病癒え、壮健の身となって帰郷することが出来ました。
しかし、帰郷した政次郎は、多忙に取紛れて一年余も誓詞のことを忘れていました。すると、ある梅雨の夜、夢心地のうちに門前に騎馬の音が聞こえ、更に「汝は、江戸にて瘡の癒えたるを忘れたりや」との叱責の声を聞きました。
政次郎は大いに悔い、急ぎ神恩に報いるために、家人、親族の協力を得て、博労町(現在のこの地)に在った宝典寺別院の大日堂境内に祠を建て、寛永十四年(一六三七年)五月十五日鎮座の祭典を挙げました。これがこの神社の起りです。
以来、小倉に疱瘡等の疫病が流行する度に、霊験著しく、城主も深く感激して、小笠原家の定紋(三階菱)つきの幕と提灯並に石灯籠を寄進されたといいます。
その後、昭和の時代に至って、老朽した祠を改築することになり、信徒総代安倍寛は講社一同と相計り、昭和三十四年に新しい社殿を建立しました。その折、近傍に在った宮地嶽神社の祠も荒廃していましたので、その祭神を相殿祭神として崇敬を加えることになりました。
昭和六十三年十二月、この地区を北九州市の表玄関として整備するための再開発事業が起り、施工者の小倉駅東地区市街地再開発組合と再開発ビルの核店舗株式会社小倉そごうは、神社講社代表と協議を重ねた結果、再開発ビルの屋上に遷座奉り、今後は地域の鎮守として、またこのビルの安全と小倉そごうを始めとする営業者の商売繁盛の守護神としてあがめることになりました。遷座の期日は平成五年十月一日です。
なお、この神社には軍荼利明王の神像が合祀されていましたので遷座の際、境内に別祠を建て、神社の守護として祀りました。(案内板より)
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神社なのだから、もう少しテラスに植栽くらいしてあげればいいのに、と思いつつ、エレベータで1階に出ます。閉館時間にお参りできるよう分祠が道のそばにあるのですが、鳥居があちこち剥げまくりで、これももう少し大事にしてあげれば、と思うのです。

小笠原藩江戸屋敷は、いまの読売新聞本社の場所(東京都千代田区大手町1-7-1)にあったそうですから、そこから南側にある瘡守稲荷神社であれば、たぶんもとはここではないでしょうか。

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(2019.06.23訪問)