美風庵だより

幻の花散りぬ一輪冬日の中

日田市田島 大原八幡宮

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赤貧の本家筋の家は日田にあります。
曽祖父が生きていたころは本家筋との付き合いもあったのですが、曽祖父が亡くなってからはほとんど交流がなくなり、祖父が亡くなった今となっては、わが一族で赤貧より年下は、誰も本家の場所すら知らないはずです。

赤貧もずっと疎遠どころか絶縁のまま放置していたのですが、たまたま巡り巡って、赤貧も知っている本家筋の当主がお亡くなりになったことを知りました。ゴールデンウィーク中だったとのことで、今頃、とも思ったのですが、いちおう菩提寺の墓地にお参りに行くことにしました。

その墓地から10分も歩けば、大原八幡宮にたどり着きます。

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大原八幡宮 - Wikipedia

貞観13年(871年)若しくは仁寿2年(852年)に、当時日田郡司であった大蔵永弘によって、杉原宮から現在の元宮に遷座され、宇佐神宮より橋本公則を迎え社司としている。建久4年(1193年)、大友能直が、東の総社を柞原八幡宮、西の総社を大原八幡宮として鎌倉鶴岡八幡宮の参拝礼式に改めさせたといわれる。
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早い段階で宇佐宮であったり、鶴岡八幡宮で上書きされているため、あまりむかしの姿を残している神社ではありません。楼門の仁王像や随神像は美しく、丁寧なつくりです。

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社殿は権現造で、いかにも八幡宮といった感じです。なかなかひろい境内は、しっかりと掃き清められています……。

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拝殿のうえに目を向けると、五七桐、三つ巴、州浜紋が並んでいます。まさかここに桐紋が残っているとは……。桐紋は、筑紫君=玉垂命になる前の武内宿禰が使用した紋です。

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裏手にまわると、お稲荷さん、大山祇神社、医祖神社、住吉神社、日田神社、松尾神社とさまざまな御祭神の社が並んでいます。

本殿のちょうど背後に来るのが、日田神社と住吉神社です。

大蔵氏 (豊後国) - Wikipedia

日田神社は、代々日田を治めた大蔵氏を祀る神社であり、その横の住吉神社は、玉垂宮神秘書によれば、住吉三神こと阿曇磯良崇神天皇、玉垂命が御祭神ということになります。つまり、拝殿で手をあわせると、大蔵氏と八幡神と玉垂命に手をあわせたことになるように、配置されているわけです。

錦春稲荷大明神(東京都後楽園駅)の投稿(1回目)。小石川後楽園の中の神社です。ご由緒などはわかりま…[ホトカミ]

境内の隅に、錦春稲荷神社があります。もともとは東京都文京区・小石川後楽園に鎮座されているお稲荷さんです。むかし、後楽園の隣、いま東京ドームがあるところに、軍隊で使用する小銃などを製造する東京砲兵工廠という軍直営の工場がありました。

関東大震災で被害を受け、陸軍は現在の北九州市小倉北区に移転を決定。小倉陸軍造兵廠に、錦春稲荷神社もお引越しをしてきました。

小倉陸軍造兵廠 - 北九州市

小銃だけでなく、戦車や高射砲も(さらに資料によっては化学兵器風船爆弾や毒ガスも)生産する総合軍需工場で、いまの北九州市役所、勝山公園、中央図書館から小倉税務署のあたりまで広がっていました。米軍の原爆投下目標地点とされたことでも、有名です。

1944年から爆撃を受けるようになったため、工場の機能を各地に分散・移転する措置がとられるようになりました。疎開先として、日田製造所の建設がはじまったのもこのころで、お稲荷さんもまた、1945年7月にお引越しをしてきました。

東京ドームのあたりから、小倉、日田とお引越しを重ねた数奇な運命のお稲荷さんにも、手をあわせます。まさかこんな山の中まで連れてこらえるとは、思ってもみなかったでしょう。


(2019.06.22訪問)