いつのまにか豊川稲荷も、1年に一度はお参りするところになってしまいました。最近、古代史ネタ・神社ネタを扱うようになってあらためて思いますが、同じ豊受大神(=豊受姫=アメノウズメ=稲魂)を祀る神社仏閣でも、外宮とお稲荷さんは大違いです。若いころ、これが御祭神が一緒だとはとうてい信じられませんでした。
渡来人による文化流入と仏教伝来が、ここまで世のなかを変えたのだと、つくづく感じます。
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父は開化天皇玄孫・息長宿禰王で、母は渡来人の新羅王子天日矛(あめのひぼこ)裔・葛城高[ぬか]媛
白壁王(後の光仁天皇)の長男(第一王子)として天平9年(737年)に産まれた。生母は百済系渡来人氏族の和氏の出身である高野新笠。
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考えてみれば、九州福岡で神社めぐりをすれば避けてはとおれない神功皇后も、渡来人の血をうけているわけです。ほかにも、渡来人の血が皇室にはいった事実があります。右翼がいくら嫌がってもそれが現実ですし、圧倒的な「文化の上書き」がされていったのも、影響力がそれだけあれば、当然ともいえます。
到着したころには16時半を過ぎていたせいか、ほとんど人影がありませんでした。赤貧はiPhoneケースに豊川稲荷のお守りを入れており、授与所であたらしいのをいただこうと思って近づいてみると、ひとけがありません。よく見ると、しゃがんで片付け中で、赤貧を見とめて窓口をあけていただきました。今年も500円おさめて小さいお守りをいただきました。
狐塚に向かって歩く途中も、家族連れらしき一組を見ただけでした。まるで貸切気分です。幟旗を立てて祈願する姿に仏教由来の宝珠紋がひるがえり、これで外国人に「外宮と同じ御祭神です」なんて言っても、まず通じないでしょう。共通点があまりになさすぎます。しかし、これが日本なのです。
狐塚の溶岩で出来た岩で、今回は1円玉を2枚いただきました。いっぱい儲かったら、あらためて狐塚に小銭を奉納したいと思います。
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霊能者と称するひとたちのなかで、お寺系の稲荷と神社の稲荷は違うという人たちが居ます。実際、豊川稲荷でもお祀りしているのは「吒枳尼眞天」とされています。お寺はお寺、神社は神社と厳密にわける必要があるのかもしれませんが、外宮で感じるものに比べたら、はるかに伏見稲荷や祐徳稲荷で感じるもののほうが近く、そこはあてにならないのではないか、という気がしています。
(2019.06.14訪問)