美風庵だより

幻の花 散りぬ一輪 冬日の中

豊橋筆 岩井芳文堂筆店

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赤貧の趣味に、お習字があります。なぜ筆なのかと言うと、知人やネットで、より扱いが難しいもののほうが、結果として上達すると勧められたからでした。

手本を買い込み、字を稽古していくと、どうもなにかが違う気がしてきます。書いていてどうやったら線が出るのかわからないものが多数あるわけです。むろん、片方は時代を超えて残りつづけた偉大な作品であり、こちらは初心者ですからわからなくて当然なのだけれど、どうも最初から違う気がする。

www.tees.ne.jpそんな疑問を抱いていたころ、たまたまネットで見つけたのが、岩井芳文堂さんのホームページでした。昔といまでは筆の製法も違えば材料の選択基準も違うのだから、同じように書けるわけがない。

細かい説明は読んでいただくのがいちばんとして、説得力がある話にすっかり魅了されました。手本は手本であって、無理に真似なくてよい、そこから先の領域は書家やマニアのすることだ、と気が楽になったのを覚えています。

いずれどこかでお店を訪ねてみたいと思ってはいました。いちど豊川稲荷の帰りに豊橋駅に出てぐるりと探してみたのですが、googleマップを見ていても見落として、わかりませんでした。

6月14日、改めて現地に伺いました。前回気づかなかった路地に気づいて入ったところ、お店を見つけることができました。

「ホームページを見て九州からやってきた」旨を伝え、1時間ほどお話を伺いました。目の前で実演しながら説明をうけると、あまりの説得力に、笑うしかありません。

言われてみればもっとも至極な話です。現代のように物流が発達した時代ではありませんから、筆の材料は近場で求めるしかありません。まとまって手に入りやすい材料の質に筆のクセも左右されるし、そもそも筆は高価なものですから、たしなんで使っていたのは間違いないわけで、いまのように毛がすり切れたらポイするわけもないのです。先がすり切れないよう少しずつ回転させながら、現代では一般的にチョイスされない毛質の毛を使った筆で、しかも製法が違う。

「以前ここを訪ねてきた書道家のタマゴが、これは劇薬だってって倒れそうになって帰っていった」という話をされていました。知りたくなくても真実を知ってしまった以上、それでも書家を目指す……とは思えません。赤貧が同じ境遇なら、バカらしくて洗えるものなら足を洗うでしょう。

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オススメの筆を2本売っていただきました。斜筆のすごさを、これから実感してみたいと思います。
それにしても不思議なのは、もっと騒がれても良さそうなのに、この話をネットで見かけることは、まずありません。

歴史は常に今を基準に再構成されるものであり、真実だから価値を正しく評価されるとは限らないと、つくづく感じます。

この発見を埋没させるようでは、いまの日本もその程度の社会ということなのかもしれません。

(2019.06.14訪問)