先日、柳川市(旧大和町鷹ノ尾地区)とみやま市(旧瀬高町河内地区)の玉垂宮めぐりをしました。麦畑のなかの農道を歩いていてかすかに見える山が気になりgoogleマップを検索したところなんと雲仙岳でした。
googleマップの地形図に矢印を書き加えると、こうなります。
画像の左側にみえる小山(地形図だと黄色の▲)は大牟田市の「岬」地区です。ここにも玉垂神社と高良宮があります。25日、日を改めて調査に行きました。
玉垂神社は黒崎公園のさきにあります。公園のなかを歩いていくと……。
大正時代に奉納された地蔵堂があり、さらに進むと、この一帯が「黒崎観世音塚古墳」であるとの案内板があります。1994年まで、ここが約100mの長さをもつ前方後円墳であると気づかれなかったとのことで、4世紀の築造とされています。当時は干拓されておらず海に面しており、甘木山(!)から突き出た台地に築造されています。
現時点では、有明海沿岸で最大の古墳とのことですが、むかしから信仰の聖地だったようで、たくさんのお地蔵さんや観音様が山中にすえられています。案内板によれば88か所あるそうですが、山中は蜂の羽音がして虫が多く、ぜんぶを逐一まわるのはあきらめました。
公園内を歩いていくと、玉垂神社の鳥居が現れました。ほんとうは公園内をとおらずに急な石段をあがるのが参道らしいので、ちょうど裏から回り込んだ格好になります。
注連縄はときどき県南でみかけるタイプのものですが、テルテル坊主のような房がありません。腐って落ちたのでしょうか。全体的に笹の葉と樟の落ち葉がいっぱいで荒れています。鳥居の横に郵便受けがある神職の家らしき建物はあるのですが、こちらも無人のようで、玄関先は笹の葉と落ち葉で段差が見えずこけそうになりました。
楼門のなかに伴神の木像が1体ずつ納められていましたが、可哀想に顔が首からとれてあぐらをかいた上においてありました。腹に顔を書いたような感じでなかなか可笑しくもあったのですが、失礼になってはいけないので写真はとりませんでした。
境内社である大日神社は昭和18年発行の「福岡県神社誌」を読んでも御祭神の記載がありません。ただ、大日から連想できるとおり大日如来=天照大神=オオヒルメノムチで間違いないと思われます。神功皇后伝説には、いざというときに天照大神にお祈りをした、というものが多いのです。朝倉市荷原の美奈宜神社もそうです。
狛犬さんもどこか先日の旧瀬高町河内地区の玉垂宮に似ています。
拝殿、幣殿、渡殿、本殿と、つくりはほんとうに立派です。
御神紋は、大善寺玉垂宮と同じ左三つ巴のようです。外削ぎの千木がのっており、この社殿を造営したときは、主祭神は男神だったことがうかがえます。
神社の御祭神が男性か女性かをみるとき、千木をみるという方法があると言われています。この方法は、赤貧のように「もともと誰が祀られていたのか?」を考えながら神社を眺める点では重要ですが、一般的にただ手を合わせに行くだけなら、さほど重要な点ではありません。明治新政府が神仏判然令を出して「誰を祀っている神社なのか」を整理させたとき、祭神の付け替えが行われているからです。
(つづく)