美風庵だより

幻の花 散りぬ一輪 冬日の中

鷹尾神社と聖母宮と玉垂神社(3)

goo.gl鷹尾神社から泰仙寺橋という橋を渡ると、(先ほどとは別の)聖母宮がある泰仙寺地区に着きます。矢部川をはさんで鷹尾神社側が柳川市(旧大和町)であり、泰仙寺側はみやま市(旧瀬高町)になります。むかし、矢部川の改修が行われる前はひとつの集落だったそうなのですが、分断され、現在では違う市町村に帰属しています。

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橋を越えて階段をおりたところに、聖母宮の比較的新しめの建物がありました。泰仙寺というお寺の鎮守社なので境内にあります。

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聖母宮でgoogle先生に尋ねると、壱岐市にある聖母宮か、宇佐八幡宮にある聖母宮がまずヒットします。もともと、いまの香椎宮は江戸時代、神功皇后信仰が盛んになり聖母宮と名乗っていました。仲哀天皇墓所「香椎廟」は、いまの古宮跡を指していたのです。明治になってこの関係が整理され、聖母宮が「香椎宮」となります。

聖母というとすぐ「マリア」ときて、「日本で大々的にキリスト教信仰?」と勘違いする若年層が想像以上に存在します(赤貧の従弟もそうです)。そっちではなくて、復古神道の影響下、廃仏毀釈で本家と一部だけは看板を掛けかえたけれど、末端はむかしながらの信仰が残っている例です。

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左を見ても右を見てもいやになるほど麦畑のなかを、瀬高町河内地区へと徒歩で向かいます。聖母宮から河内地区にある玉垂神社まで、googleマップで18分と表示されげんなりしますが、初めて来る土地でどこに駐車してよいやら悩むくらいなら電車で行こうと決断したのは、なにをかくそう赤貧自身です。いまさら悔やんでもはじまりません。

農道を歩いていて、ふと考えてしまいました。

この農道の直線上は、海です。うっすらと見えるあの山は、どこの山なのでしょうか。

立ち止まって考えているうちに「雲仙岳!」と気づきました。

雲仙岳には温泉(うんぜん)神社という神社があります。筑紫国魂神社とむかしは名乗っていました。「なんで雲仙が筑紫国魂?」となんのこっちゃと赤貧は一笑に付していたのですが、こうやって邪馬台国があったかもとされる場所からしっかりと見えるのを自分の目で確認してしまうと、信仰の対象とされた理由もわからなくもない気がしてきました。

2階建て住宅などが建て込んでいる現代では、よく見えないためピンとこないかもしれません。けれども、むかしは背の高い建物なんていくらもなかったはずですから、もっとよく見えていたはずです。

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九州王朝説を支持する研究家が「もっと重視すべき」と主張している、今回の旅の目的地、玉垂神社にやってきました。真新しい鳥居のさきに御神橋があり、ふるい肥前鳥居があります。室町時代から安土桃山時代のものと推定されているとのことで、肥前鳥居でも古い様式に属するものと、案内板に説明があります。

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楼門には伴神の木像が飾られているものですが、風化を防ぐためかアクリル板でほとんど封じられており、向かって右側の木像のみがちらりと見える状態でした。木像の家紋が木瓜紋なのに驚きます。高良大社に行けばわかりますが、木瓜紋は玉垂命の神紋とされているからです。お供がなぜこの神紋をしているのか?

たしかにこの玉垂宮は、謎がふかい。

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愛らしい狛犬さんを眺めながら側面に回り込みます。

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五三桐紋か五七桐紋ばかりが神社のいたるところについています。高良大社では桐紋は住吉大神の紋とされています。言うまでもなく、菊紋とならび、ほんらいは皇室の紋です。

……たしかに謎です。高良大社では木瓜紋を「玉垂命が天からおりてきたとき、雲から射し込む光の様子を表現している」と説明しています。ところが、ここでは桐紋をもちいて、皇室の一員であることをアピールしています。

goo.gl以前、田主丸にある柳瀬玉垂宮でも似たような経験をしました。

この柳瀬玉垂宮も桐紋ばかりでした。ただ、「玉垂命の姉が嫁いできた場所」という言い伝えがあるとのことで、姉の紋がいつしかすり替わったのだろうくらいに思っていました。ところが室町時代安土桃山時代と推定される肥前鳥居がある、この玉垂神社のあちこちに桐紋があるのを見てしまうと、やはりこれはどこかで歴史が書き換えられたのだ、という気がしてきます。

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拝殿にあがらせていただくと、あちこちにしゃもじが飾られています。汽船の絵馬が奉納されており、なかなか凝っていると感心しました。

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ござと円座が社殿の前に置かれています。というより、社殿のなかにも置畳があります。

かるく頭を下げてなかに入らせていただき、置畳に正座してあいさつ代わりに祝詞をあげます。御神鏡と真鍮でできた御幣の背後に御簾が下がっており、どうやらこのなかに御神体があるようです。

153 超高格式瀬高玉垂宮の神功皇后像が消えた “みやま市河内の高良玉垂の宮” | ひぼろぎ逍遥

数年前にすでにこの神社について触れた日記があり、これを読んで、いつかは訪ねたいと思っていました。この日記にある女性の木像は、御簾の向こうには存在しません。とても残念なことです。しかし、陰謀論めいた書き方はどうかと思います。誰かが隠したというより、価値がわからずカネになると売りとばした馬鹿が居るのではないか?と赤貧は考えます。

それにしても、境内の落ち葉や細かい部分の荒れ具合をみていると、これだけ貴重な遺産もいずれ風化してしまうのかとも考えてしまいました。

まさかぐるりと歩いただけで11,000歩を超えると思わなかった今回の旅でしたが、いろいろと収穫が得られました。

実際にあちこち歩いてみると、発見があります。楽しいものです。