美風庵だより

幻の花 散りぬ一輪 冬日の中

鷹尾神社と聖母宮と玉垂神社(2)

goo.gl

 

f:id:bifum:20190519095752j:plain
f:id:bifum:20190519095811j:plain

さらに北に進むと、宮地嶽神社があります。先ほどの安房神社から歩いて5分もかかりません。奉仕するグループわけをしているのかもしれませんが、ひとつの集落にこれだけ複数の神社があるというのは、おどろくほかありません。それだけ歴史の古い集落なのでしょう。

f:id:bifum:20190519095857j:plain
f:id:bifum:20190519095841j:plain
f:id:bifum:20190519100009j:plain
f:id:bifum:20190519095945j:plain

さらに琴平神社や恵比須さまの祠もあります。数えるとぜんぶで7つあります。そのうちわかるのは鳥居の扁額や祠に名前が彫られている宮地嶽神社琴平神社・恵比須様くらいで、あとの4つ(聖母宮、観音堂、若宮の祠、水天宮)は、どれがどれかもよくわかりません。

神功皇后を祀る聖母宮があるというので期待したのですが、おそらくはこれかな?と思う石碑はあるものの、裏に彫られている文字がよく読めず、確証がもてないので写真撮影を断念しました。

今回の旅のポイントは、高良大社に伝わる「高良玉垂宮神秘書」で、神功皇后の夫が高良玉垂命とされていることにあります。

玉垂宮は、高良玉垂命をお祀りする神社であり、聖母宮は神功皇后をお祀りする神社です。宮地嶽神社は、神功皇后のお供をした二人の神様を祀る神社であり、これから行く鷹尾神社(鷹尾八幡宮)は、神功皇后の子、応神天皇を祀っています。つまり、徒歩10分ほどの範囲に、皇祖神とその母親と義父と「助さん格さん」級のお供を祀る神社がすべてあるわけです。

goo.gl

f:id:bifum:20190519100710j:plain
f:id:bifum:20190519101050j:plain

7つの神社・祠をお参りし終えて振り向くと、まっすぐ先に鷹尾神社がみえます。

歩いていくと、ご近所のかたでしょうか、清掃奉仕作業の真っ最中でした。高圧洗浄機がんがん使っているのにはちょっとたまげましたが、複数のかたが汗を流しておられました。見知らぬ中年がのこのこ入ってきたのが珍しいのか、何人かのかたから声を掛けられました。

県道拡幅工事に併せていろいろと見直しが行われており、神社そのものはむかしからあると言い伝えられているが、社殿は決して古いものではないとのことでした。たしかに玉垣の代わりに鉄製の柵で囲まれていたりと、よく観察するとなかなか中途半端なつくりになっています。

f:id:bifum:20190519101940j:plain
f:id:bifum:20190519101911j:plain
f:id:bifum:20190519102009j:plain
f:id:bifum:20190519102054j:plain

応神天皇仲哀天皇神功皇后を祀る神社ということですが、神紋は鷹の羽紋で、八幡宮でよく見る巴紋ではありません。ここは玉垂宮とちがい覆屋(鞘殿)は掛けられておらず、よく見かける神社の雰囲気です。

f:id:bifum:20190519101343j:plain
f:id:bifum:20190519101428j:plain

社殿の横に「子安神社」があり、神功皇后の腰掛石を御神体にして、拝殿のみがあるつくりになっています。皇祖神を生んだ偉大な母にあやかって、安産祈願をするひとが多いのでしょう。

f:id:bifum:20190519101154j:plain
f:id:bifum:20190519101146j:plain

「牛の宮」という神社もあります。九州に下向した藤原氏が祖先を祀ったものと言い伝えられているそうで、この地域には「松藤」という姓がたいへん多いとのこと。現在では「松藤さん」として、松藤姓の氏神として信仰されているそうです。

f:id:bifum:20190519101722j:plain
f:id:bifum:20190519101753j:plain

「神社の裏に墓地があるから」と教えていただき、裏手にまわると鷹尾大宮司家の墓地がありました。案内板を読んでみると、立花家の祖廟三柱神社が出来た際神官に任ぜられ、そちらに鷹尾家は転居し戦前まで鷹尾神社を兼務していたとのこと。

地元のかたの説明では、高良大社の別宮となっていた時期もあったとのことで、いまでこそ田舎集落にある場違いな立派な神社(失礼)ですが、この地域がむかしからの拠点(町)であったことが、理解できます。

(つづく)