松村かえるの「かえるのねどこ」

旧「美風庵だより」です。

〈出雲〉という思想 近代日本の抹殺された神々

 以前にも紹介した本です。
神宮が天皇の祖神を祀る神社というブランド、資金力、皇室の政治利用でほかの神社を圧倒していく過程をたんねんに追っています。
熱田のように、神宮の古材で神宮を真似て社殿を建て替え、神宮に便乗して自らの地位向上をはかる動きがあり、その一方で、出雲大社のように、中央での権力闘争から一歩引き、独自の布教をさぐる動きがあって、いまの神社業界につづいています。この本は、出雲大社(と、その神職である千家家)を中心に、幕末から明治における神道の変質を眺めていくものです。日本社会がなんだかんだ言って健全なのは、こういう研究が大手出版社から出版でき、我々庶民が読むことができることにもあらわれています。
この本以外にも、明治期に神宮が中心となって「家庭内の祭祀」の標準化(仏式からの分離)をめざしたことや、神様へのお供え「神饌」を標準化しようとしたこと(神宮方式以外の原則排除)、「二礼二拍手一拝」の作法の制定、神職資格の制定(世襲を排除し中央集権化)など、wikipediaあたりでもいろいろと書かれていますから、調べてみると面白いと思います。
 
「氏子とはなにか?」という点も、もとは1871年(明治4年)に政府が「氏子調」として、おおむね1000戸に1社、区域を指定してさだめたものです。この時点で、ほんらいの氏姓の祖神とも、産土神とも、鎮守神とも違うなにかに変質しています。
赤貧もわかいころは普通に神宮大麻を中心に、向かって右に氏神、向かって左に崇敬神社と御神札を配置し、ふつうに米、塩、水をお供えしていたのですが、だんだん勉強していくと、これを守るのがばからしくなりました。
 
おそらく図書館とかにもあるのではないでしょうか。コテコテの物語とは違う、歴史との接し方を勉強させてくれます。