美風庵だより

幻の花散りぬ一輪冬日の中

天照皇大神宮

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17日、用事で香椎に出た帰り、遠回りになりますが久山町猪野の伊野天照皇大神宮にお参りしました。

先日知人から初めて訪れたとメールをいただいて、存在を思い出しました。
メールの返事をしたあと、記憶をたどってみました。
おそらく1999年か2000年ごろにお参りをしています。
当時、まだ存命だった朝比奈隆さんと大フィルの福岡公演が5月に行われていました。
この公演を聴くため、佐賀から福岡に向かう高速バスに乗り合わせたお客さんがバスジャックに巻き込まれた事件がありました。ちょうどあの頃です。
赤貧はいくつかのインターネット上のコミュニティに参加していたのですが、そこに或る年配の女性が居ました。子供が大学を卒業するまでおカネが要るとのことで、リウマチ(メニエールだったかも?)で時々通院しながらパートに行っているかたでした。そのかたが「病院の行きか帰りに立ち寄る」と言っていたのがこの神社で、当時、予備知識なく道路地図をたよりに久山町まで行って、大きな鳥居にビックリしたことだけおぼえていました。

この皇大神宮は、現在の香椎宮仲哀天皇崩御された際に神功皇后斎宮をつくり奉斎した場所がはじまりとされています。
それとはべつに、貝原益軒という江戸時代の学者は、代々神宮の祭祀を担当していた神官 豊丹生(ぶにゅう)氏が都を追われ英彦山に配流となったとき、御分霊を持って九州に来て、神のお告げによりこの地に祀るようになった話を伝えています。赤貧が最初に教えてもらった話はこちらでした。

どちらが正しいというより、おそらくは古代に祭祀が行われた場所であり、故地と知って、豊丹生氏が御分霊を祀ったというのが正解だという気がします。

江戸時代、黒田藩主黒田光之公は由来を知り、改築の際に徹底して神宮を研究するよう命じます。宮司となっていた豊入生氏と宮大工が神宮に派遣され、神社は現在の姿となりました。神宮にならい式年遷宮も行っているとのことで、2007年に行われたとありますから、赤貧が過去にお参りしたのは以前の社殿だったということになります(まったく記憶にありません……)。

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以前見てびっくりした大きな鳥居です。鳥居のよこにバスの小さな発着所があります。小さい集落ですが、天神方面と篠栗駅方面にそれぞれ1時間に1本はバスがあり、けっして不便な土地ではありません。

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神社が建つ場所の地名は「猪野」なのに「伊野」と名乗らせ、川の名は五十鈴川とし、かかる橋は五十鈴橋という徹底ぶり。黒田公が本気だったことがうかがえます。

五十鈴川を渡って左手に、神社が見えます。石段をあがったところに拝殿があり、内宮の別宮である伊雑宮をふと思い出します。あれほどシンプルな作りではありませんが、模しているのはたしかです。横に滝がありますが、前回来たときに滝をみた記憶がありません。社務所は1日と15日の月2回だけ開いているようです。社務所の前に隣の建物(売店?)は宗教法人と関係がない旨の看板があり、どうも関係がうまくいっていないようです。

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むかって左手に摂社が並んでおかれています。一番手前が七所神社。16日に城島酒蔵びらきに行った折、ご挨拶した高良玉垂神社の別名が七社大権現でした。ちょっとした縁があるのかもしれません。

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社殿は拝殿の裏にあります。内宮も伊雑宮も左右に並んで交互に建て替えなのですが、久山の皇大神宮は、敷地の関係で上下に社殿用地があるようです。

古宮跡地を見ていて気づき、その場でネットを検索してみたところ、やはり現在の社殿が建っているところで建て替えを行い、古宮跡地は昭和の建て替えから使用していないようです。

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五十鈴橋を渡ってふと気配を感じて右を向くと、ぼろぼろの鳥居が見えました。なにごとかと思って近づくと、どうやら水取宮跡という聖地のようです。敷地内にあった案内板を読むと、神功皇后が水神を祀った場所とされており、現在は巨石を五穀神として祀っている場所のようです。

 

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水取宮跡を出て左手の川を眺め、バスの発着所があるほうへ戻ります。途中、左手が気になりホルモン店の看板から先に入ってみると、皇大神宮の古宮跡がありました。現地の案内板によると、黒田光之公が現在地に建て替えるまえはここにあったとのこと。現在は20年に一度の社殿建て替えの際、仮にお座りいただく場所として使用しているそうです。といっても、ご神木以外はなにもありません。

水路を泳ぐ鯉が丸々と太っているのが印象的でした。赤貧が見つけただけでも2家族が餌を与えていました。もしかすると神社の下の売店で鯉の餌を売っていたのかもしれません。今度来るときは、あらかじめスーパーで麩を買ってから来ようと思います。