松村かえるの「かえるのねどこ」

旧「美風庵だより」です。

栄枯盛衰

家の間取りの原案がだいぶかたまったようです。間取り図と方位を確かめてみると、そこまで問題がありそうな感じはありません。おそらくこれから実際に暮らす家族でこまかい検討があると思いますが、とりあえず第一段階は過ぎたようです。
ただ、気になるのはこのパズルを解き終えたら永久不滅の栄達が約束されているかのように感じているきらいがあること。そう簡単なものではありません、といちおう釘を刺しておきましたが、どうもピンとこない様子です。
たとえば江戸幕府をはじめるにあたり、家康は江戸の町を建設する際、そうとうな注意をはらいました。鬼門封じに寺院を置いたり、日光東照宮を造営したりしています。陰陽道をはじめとする当時の方位術を、様々な角度から検討して、都市計画がなされています。
赤貧が住む甘木の町もそうで、須賀神社は江戸時代まで祇園様でしたが、ちょうど町の中心から見て北東の鬼門封じの位置にあります。事例に大小あっても、さまざまな立場がその立場を維持しようと、方位術を利用していたのです。
しかし、江戸時代は300年もたずに終わりました。
方位術の元祖といえば中国ですが、中国も王朝がころころと代わりました。
ころころと代わるのなら意味がないじゃないか、というひとも居るでしょうが、いろいろな手をうつことで、少しでも状況を改善する力となるのが、家相や風水の力です。要は、もともとの大枠を大幅に超えることはできないが、細かい部分の改善のために使うのが、家相です。同じ人生でも、持病もちで苦しい生活を送るより、多少でも身体に障害がなく金銭面で余裕がある人生のほうが良いでしょう。それを願って、占いというものはあるのです。
登りっぱなしの坂はありません。いまはつらくても、どこかで今度は下り坂になります。辛さは人生の苦労を先食いすることであり、楽しみは苦労したぶんの利子です。
大雨が降って川の流れがかわるように、人生も一筋縄ではいきません。
原爆で焼け野原になっても、植物がやがて育ちはじめます。明けない夜はなく、暮れない昼もありません。
これは少し考えてみればわかることです。例えば日本一の資産家だった松下幸之助は、松下電器の工場と事務所にすべて龍神様を祀る祠をつくりました。専従の神職を雇っていた時代もあります。たしかに松下電器パナソニックとなり、いまも時代のなかを生き延びていますが、すでに松下幸之助の一族は経営の中枢に居ません。
西武鉄道を創業した堤康次郎は、ある神社の周囲の土地と山をすべて買い取り、事実上のMY神社にしてしまいました。そこまでして家運隆盛を祈願したわけですが、彼の死後、誰もが知ってのとおり、鉄道とセゾンの二つにグループは分割されてしまいます。
重要なのは、日々、儲けるきっかけはなにかを考えることです。家相や風水にこだわるのも良し、松下幸之助のように「金」と半紙に大書して精神統一するも良し。造ることがゴールではなく、造ればそれをキープしていかなければなりません。そうでないと、運気はすぐ逃げてしまいます。
栄枯盛衰があるのは悪いことではないのです。他人がおちぶれるのは、自分がもっと儲けるようになるための好機かもしれないわけですから。