美風庵だより

幻の花 散りぬ一輪 冬日の中

塀のある家にするべきかどうか。

20日に知人と家相について話をしていて気づいた点を、ここでも書こうと思います。
 
家に塀が必要かという点です。

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中国には四合院という住宅の様式があります。風水的によい環境となるよう考えられたものです。家の正門は南東側にもうけ、使用人がつかう通用口以外は、すべて塀か家の壁でぐるりと取り囲んでしまいます。先日この日記で触れた池と同じことで、気の流れを上手に取込み、貯めこむことができるようにと考えられたものです。
正門側からもっとも遠い北に、一家の主人が暮らし、家祖を祀る祭壇があります(上記の例では、背後に使用人の雑居スペースがあります)。とうぜん、ここがこの建物でもっとも高い地点です。敷地について書いたときに触れた高低差が重視されます。

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現代でもこの考えは受け継がれており、風水を考慮して四合院をデザインに取り入れたケースがいろいろ考案されています。
 
ここまで書くと塀は必要という話になりそうなのですが、赤貧はそうではない、と思うのです。
 
塀や家の壁で四方を取り囲み、おカネのダムになるよう家を設計する際に重視するのは、なかで暮らす人数です。
たくさんのひとが住み、多くの関係者が出入りし、人工的に建物内に気が対流を起こすように仕向けなければなりません。なかに渦がなければ、周囲の金運を導くことが難しいのです。
いまの世のなか、数世代が同居し、かつ使用人が居るような家は、なかなかないと思います。夫婦と子供1、2人で、子供が成長したら夫婦のみで暮らす、下手をすれば連れ合いが亡くなって独り暮らし。このような家族構成で、塀にぐるりと取り囲まれた家では、自らのちからで対流を起こすのは難しくなります。外部からの力を借りようにも、壁は「障壁」となって、それこそ池の滞水のように最後は腐るしかありません。
伝統的にこう考えていた、という点だけを重視するのではなく、時代背景や家族についての考え方の違いを、よく説明しておく必要があります。
 
考慮すべきもう一つの点は、周囲の環境です。
先日の日記にも書いたとおり、周囲の建物などを利用してなるべくよい家相にするということが可能です。ただし、他人のつくった建物ですから、途中で取り壊されれば環境がかわる危険性もあります。
よくこの手法が取り入れられたのは、庭園造りではないかと思います。遠くの山や自然を借景として取りこみ、気が流れ込んでくるようにすることで運勢の改善をはかろうとするものです。しかし、あくまでも他人の土地。途中に高層建築が建てば気が遮られてしまい、ほんらいの力は届かなくなってしまいます。
例えば筥崎宮という神社があって、扁額に「敵国降伏」とあるのは有名です。
外敵に対するニラミをきかせるために御親筆をもとに作成されたものですが、その朝鮮半島に向けられた視線はいま福岡都市高速の架橋で遮られています。どんなに怖いひとにニラまれていても、そのひとの視線が遮られていれば、なにもわかりません。衝立の向こうで、やくざがガンを飛ばしているようなものです。
筥崎宮は発信する側で、家相は受け取る側の違いはあれど他人の土地をあてにすると、他人のせいで効果が変わってしまうおそれがあります。しかし、どうせ自分の代しか住まない、子孫はまたどこかに移住するだろうと割り切れば、借景は安上がりで使える武器となります。
 
赤貧としては、少人数の家族構成で、むりして塀をつくりおカネのダムをつくる試みをするより、周囲の気の流れにある程度任せてしまうほうが、少人数向きではないかと思っています。要は、借景だけでなく「近くの他人たち」にある程度は運勢も任せるということ。地域の運命に左右される危険性はありますが、もともと、個人の運勢がいくら良くても、地域や国といった運勢に逆らえるものではありません。
このあたりを直接説明したのですが、いろいろと思うところはあるようで悩んでおられました。
さて、どうなりますやら。