松村かえるの「かえるのねどこ」

旧「美風庵だより」です。

祐徳稲荷神社に行く

宮地嶽神社の帰り、電車でうとうとしていたら祐徳稲荷を思い出しました。
帰宅して調べてみると、赤貧の自宅から南西の方角にあたります。

 少し前に金函玉鏡という占いの本を購入し、奇門遁甲の時盤と見比べながら使用していたのですが、どちらがより効果があるのか、いまいち実感がつかめずにいました。
ちょうど1月19日は丙辰の陽遁にあたります。金函玉鏡では南西の方位取りによい日とされているいっぽう、奇門遁甲の時盤は凶格が立ちます。吉凶判断がわかれる場所に行けば、どのくらい効果に差が出るかがわかるはずです。

goo.gl方位術の効果を体験するための題材として祐徳稲荷を選んだわけですが、赤貧が最後に訪れたのは20歳のころでした。
なぜ覚えているかというと、このころ仲の良かった相手がいました。

祐徳稲荷を一緒に訪れた翌日、来週の旅行について来ないかと学校の先輩から電話がありました。一名、インフルエンザで行けなくなったから代わりに来ないか、とのことでした。その旅行で初めて会った別の相手に一目ぼれしてしまい、いろいろとありました。
それ以降足が遠のいていたのです。

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本を読みながらのんびりしたかったので、電車とバスで向かうことにしました。祐徳バスの「祐徳神社前」という、なかなか敷地のひろい発着所に到着し、参道を歩きます。

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見上げる位置にある鉄筋コンクリート造りの本殿まで石段をあがると、この時点でなかなかの高さがあり、高所恐怖症の赤貧にはつらいものがあります。本殿の外側を眺め、なかを見ながら感じるのは、かたちはどう見ても神社建築なのにどことなく寺っぽい雰囲気があることです。内部の装飾がどことなく荘厳っぽいからそう感じるのかとも思ったのですが、なぜそう感じたのか、うまく表現できません。

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祐徳院萬子媛のご入定の地 石壁神社で手をあわせます。横に水鏡があり、ここに自らの顔を映しながら、吉凶を占ったとあります。顔を映すにはだいぶ小さく、おそらく昔はもっと水量があったのだと思います。入定とは、自らの意志で断食して最後は即身仏(ミイラ)になることで、相当な精神力がなければ、とてもできたものではありません。明治の神仏分離政策で、「仏」では都合がわるくなり、神号を名乗るようになりましたが、この部分を破壊してしまうとこの神社の出自そのものがおかしくなるため、なんとか生き延びさせた空間です。

このあと、奥の院に向かうのですが、いちばん要となる場所は、やはりここだという気がします。

石壁神社からさらに千本鳥居を登ると命婦神社にたどり着きます。

命婦神社には石壁神社とかわらないくらい素晴らしい雰囲気があります。写真を撮ろうかといろいろな角度で構えてみたのですが、どうも写しきれない気がして諦めました。

ここは、是非自分で足を運んで感じてみてください。

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さらに登ると、奥の院の入り口に到着します。ここから山頂まで、延々と石段が続きます。そしてその周囲には無数の祠があります。あとで山を下りるときにお参りしますと念じながら、とにかく足を前にだして、石段を登ります。

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奥の院に到着して、コートを脱ぎベンチに腰掛けながら、有明海を眺めつつ汗がひくのを待ちました。ふと目をやると、いまは亡き福岡玉屋の文字が。玉屋デパートもいまや佐賀玉屋くらいになってしまいました。栄枯盛衰をしみじみ感じます。

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奥の院から下山しつつ、周囲の祠ひとつひとつに手をあわせます。管理は一様ではなく、てっきりお稲荷さんばかりがあるのかと思ったら、三島明神猿田彦を祀る祠もあります。朽ちる手前の、これを奉納した主はいまどうなっているのか心配になるようなものから、狐穴を模してお祭りしたものや、手入れが行き届き奉納主の勢いを感じさせるものまで、さまざまです。

ご神体も神棚に納めたものから、鏡、石塔といろいろあります。磐座を模して注連縄を巻いた石もありました。

 

久しぶりの祐徳稲荷神社でしたが、たしかに参拝客が多いだけのことはあると感じました。本殿もですが、石壁神社と命婦神社に行けば、まず間違いはないと感じます。

と、ここまで書いてきて、肝心の方位術の結果ですが、行きに切符がわからなくなり250円もう一回払うトラブルはあったものの、全体としてはほぼ貸し切り状態で乗り継ぎもスムーズ、時間はかかったものの贅沢な旅行になりました。吉凶半ばとみるべきか、もう数日、待ってから判断するべきか、なかなか難しいところです。

もう何度かあちこち試してみることにします。