美風庵だより

幻の花 散りぬ一輪 冬日の中

負動産についてもう少しかんがえてみる。

「最近まめに更新してますね」と言われ、仕事場が変わると拘束時間が大幅に変わり、余裕が出来たとしょうじきに言えなかった赤貧です。
むかしの百姓は、地べたが収益源でした。自分が所有する土地の質や立地が、作物の出来を左右します。だから土地に執着するのは当たり前でした。商人もその商売をする場所が重要です。周囲が同業他社だらけなのと独占状態では、おのずと姿勢がかわってきます。こちらも、土地に執着するのは当然のことだったのです。
土地を資産とみる考えかたの基本は、やはり過去のこのような状況にあったかとおもいます。
しかし、給与生活者だらけになって様相は一転します。給与生活者の基盤は会社です。大学入学で故郷をはなれ、そのまま都会で就職してしまえば、田舎の土地はカネを生み出すものではなく、たんに固定資産税を納めるだけの「負」動産と化してしまいます。
人口が増えて住むための土地そのものに需要がある地域であれば、不要な土地を売って固定資産税という長期債務を肩代わりしてもらうことが可能ですが(うまくいけば売却益も得られますが)、そうでないケースのほうが多いのが現状です。
例えば田舎にあるのは墓地とちょっとした山林だけとかであれば、固定資産税も懐にそれほど影響しませんから、相続で負動産を押しつけられた負担感はそれほど感じないでしょう。しかし、年間数十万とか数百万とかになり、年収のかなりの部分を食いつぶされるようになれば、カネにならない土地を残した先祖を恨むことにもつながりかねません。
不動産屋はなるべく高く売って一部を手数料としていただくビジネスですが、のしをつけてでも処分したい負動産についても取り扱うビジネスモデルを構築できないか、考える必要がありそうです。ただ、こちらについては相続放棄という伝家の宝刀がありますので、なかなか儲かるしくみは作りにくい気もしますが……。
 
あと、土地にからんで問題になるのは、墓地です。墓地だけが故郷に取り残され、これを整理しようとすると、お寺から多額の費用を請求されたりという話があります。お寺の側からみれば、その墓が継続して存在すれば将来的に得られる利益の一括請求であり、これはこれで理由がないことではありません。お寺にも生活があります。逆にいえば、かりにお墓や納骨堂が空いたとしても、次があれば、お寺もそこまで態度を硬化させることはないともいえます。負動産の整理について検討されているのであれば、墓地の整理についても早めに寺に申し出ておく必要があるでしょう。そうすれば、その区画を次に使いたいというかたをお寺が探すのもやりやすくなります。
赤貧の実母のお寺には、実母が死亡後は面倒をみるつもりはないため永代供養料を納めましたが、他も相続放棄なりなんなりできちんと整理しておかなければなりません。かといって甘木に墓地や納骨堂を手に入れたとしても、こんどは(赤貧を相続した)誰かの迷惑になります。そう考えると散骨するか、永代供養をうたうどっかの合葬墓地にでも放り込んでもらうのが、もっともましな選択といえるでしょう。