美風庵だより

幻の花 散りぬ一輪 冬日の中

ふとおもうこと

前の職場を追い出されてからしばらくのあいだ、インターネットの原稿書きを昼飯代稼ぎにやっていた時期がありました。
それから1年以上経ってみると、自分の書いた文章が微妙に違っているのに出くわします。おそらくgoogleなどの検索エンジンにひっかかりやすいよう、ときどき一部を改変して「新規」扱いにしているのでしょう。ひどいのになると中身が逆になっている文章があって笑えます。
文旦というザボン漬の原料になる果物があるのですが、「果汁は少なめ」と正直に書いたところが「果汁たっぷり」と書き直されているのには目を疑いました。まぁ、原稿料もらったあとですのでこれで文句を言ってはいけませんが、たぶん文旦なんか食ったことがないネットライターに小遣いを払ってブラッシュアップ(と称する焼き直し)をさせたのでしょう。
こういう状況を知ると、google先生に頼り切りなのも考えものだな、という気がします。
ここまで書いて、或る佐賀県の神社で「ネットで子宝祈願の神社と書かれてから子宝祈願にくる若夫婦が多い。でも御神徳に子宝はもともとなかった(けど、収入がUPしたのでうれしい)」と、しょうじきに答えた神職さんのことを思い出しました。要は、誰かが書いた記事を、ほかのネットライターが鵜呑みにして拡散していき、実態とはかけ離れた文章を垂れ流しているということです。
あと、これも1年以上経つので書けることですが、某所で話をきいていて、不妊治療を求めてくる夫婦のかなりの数が「回数が平均以下」なのだそうです。かといってもっと回数を増やすよう指導すると、男女とも「その気にならない(ぶっちゃけると男がかたくならない)」というケースもあるとのこと。要は食いたくない料理は無理して食いたくないが良い目にはあいたい、というわけです。
どうもこういう妙な話ばかりが記憶に残るせいか、齢をとりすぎたのか、厭世的な気分になることが多くなりました。おかげで酒が美味いという副作用はあるのですが。