松村かえるの「かえるのねどこ」

旧「美風庵だより」です。

「幻の花 散りぬ一輪 冬日の中」

http://www.maff.go.jp/primaff/koho/seika/nosoken/nogyosogokenkyu/pdf/nriae1978-32-4-6.pdf

そのむかし、和田博雄さんというかたが居ました。戦後、局長から次官を飛び越して農林大臣となり農地改革を率い、その後経済安定本部長官となった人物です。
いろいろな視点はあると思いますが、どうみても終戦後の数年で日本のあらたな国体が構築されたのは疑いもないところです。憲法問題しかり、農政、社会構造、さまざまなものが、このときに構築された枠組みのうえで成り立っています。その完成形が55年体制と呼ばれるもので、こんにちに至るまで多くの政治家が登場し、威勢の良いことは言っているけれども、本気で根底からぶっ壊したひとは誰もいません。
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https://www.rieti.go.jp/jp/columns/a01_0138.html
小作人に農地の所有権を与えるとともに傾斜生産方式による化学肥料特に硫安の増産により、米価の抑制にもかかわらず、食料生産は増加した。米価の抑制、農地改革、傾斜生産方式、これら全てを実施したのが和田だったのである。
 
和田経済安定本部長官の功績はこれにとどまらない。「過度経済力集中排除法」は経済の民主化に名を借りて、日本の企業を細切れにしようとしたものであった。和田がGHQに対し「経済の民主化なら賛成する。しかし、日本経済の弱体化なら反対する。もし強行するなら経済安定本部長官を辞任する」と詰め寄った結果、「過度経済力集中排除法」は緩和された。しかし、経済安定本部の権限が予算編成権にまで及ぼうとしたため、大蔵省事務次官である池田勇人との抗争が生じ、これが結果的に社会党右派と左派の激しい対立を引き起こし、片山内閣は総辞職した。
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農地改革や安本長官として腕をふるいすぎ、保守与党に敵を作りすぎたせいか、安本長官退任後、官界からあらためて政界入りするときに他に進路がなく社会党に入党します。結果として、政治の中枢からとおくはなれてしまいました。
その彼の辞世の句が「幻の花 散りぬ一輪 冬日の中」です。
自民党を割って出て政界再編に臨んだはいいが、野党ボケしすぎていざ与党になるとどうにもならなくなり、いまや残骸がなんとなく残っている某党をみていると、果たして幻の花を追うような気骨者が居たのかどうか、疑わしい気持ちになります。